日本原水協系の原水爆禁止2004年世界大会広島は五日、広島市内各地でイラク戦争や在日米軍基地問題などをテーマに分科会を開いた。
うち「青年のひろば」分科会は、二十歳代の若者ら約四百人が市内十一カ所に分散して被爆者を訪ねる初めての企画。西区の庚午南集会所では、地元の土岐龍一さん(79)が爆心地から約一・五キロの市内電車内で被爆した体験を語った。
ガラスの破片で血まみれになり、「もうだめだと思った」との体験を参加者はメモを取りながら聞き、「原爆を投下した米国をどう思うか」などと質問していた。
イラク戦争の分科会では、武装グループの人質となったフォトジャーナリスト郡山総一郎さんが「僕らが助かったのは武器を持っていなかったからだ」などと述べた。
一方、原水禁国民会議系の被爆59周年原水爆禁止世界大会広島大会も同市内で分科会があり、被爆者援護や核廃絶に向けた日本の役割などについて意見交換した。
被爆者援護問題をテーマにした分科会には約百人が参加。原爆症認定を求め、全国の十一地裁で被爆者百四十六人が係争中の集団訴訟について、広島の支援団体の田村和之・代表世話人は「原告は裁判を通して原爆の残酷さを明らかにしようとしている。核兵器廃絶、核戦争阻止につながる闘いでもある」と述べ、支援を求めた。
【写真説明】20歳代の若者たちを前に、あの日を語る被爆者の土岐さん
    
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