▽被災撮影者の会台帳の原本、中国新聞社に保存
広島市に一九四五年八月六日投下された原爆の惨状を撮った鮮明な写真二百六十七枚に撮影状況を付けた台帳があった。被爆者でもある撮影者らが七八年につくった「広島原爆被災撮影者の会」の原本資料で、中国新聞社の写真資料庫で保存されていた。ガラス乾板を含むネガフィルムやオリジナルプリントから再生され精度が高く、被爆の実態を詳細に知ることができる貴重な記録だ。
写真は、原爆記録写真の散逸を防ぎ保存しようとの会の呼び掛けに応じた十八人(うち七八年当時に五人が故人)と、陸軍船舶司令部撮影の一部からなる。会の名称を刷ったA4判の台紙に写真ごとの撮影日や場所などを書いて張ってあった。
西区横川町の深田敏夫さん(76)は原子雲四枚のネガのベタ焼きを寄せていた。「会の求めで提供したが、台帳を見たのは初めて」という。
見つかった写真は、七八年当時に本人や遺族が持っていたネガやオリジナルプリントから焼き付けていた。撮影状況の多くは、被爆当日の市民を撮った元中国新聞カメラマン松重美人さん(今年一月、九十二歳で死去)が提供者への聞き取りなどを基に記載し、保存を考慮して中国新聞社の写真資料庫に袋ごと残したとみられる。
会は八一年に被災撮影者二十人からなる写真集「広島壊滅のとき」を二千部刊行(現在は絶版)し、収集活動に終止符を打った。撮影者のうち健在なのは四人となる。
呉海軍工廠(しょう)から目撃した原子雲に続き、救護で入った廃虚も収めた広島県海田町の尾木正己さん(91)は「あの惨状を見て残さなければと思った。原爆を知る記録として使ってほしい」と活用を願っている。
中国新聞社は、社撮影の「原爆・平和写真」データベースをつくるため紙面未掲載を含む膨大なネガを検証する中で会の資料を見つけた。
【写真説明】「広島原爆被災撮影者の会」が残していた原爆写真と記録台帳の原本資料
    
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