▽妻が保存 大本営調査に添付
被爆直後の広島を大本営調査団や陸軍省の軍医団が調査した際に撮られたオリジナルプリントが現存していた。陸軍船舶司令部写真班員だった川原四儀さん(一九七二年、四十九歳で死去)が自ら撮影した十九枚をはじめ二十三枚を残し、広島市中区に住む妻縫子さん(84)が保存している。
一連の写真について、陸軍省広島災害調査班の「極秘 速報綴(つづり)」にある行動表と、川原さんが被爆者健康手帳交付申請書に書いていた記述を照合すると、十八枚は広島壊滅三日後の一九四五年八月九日撮影と確認できた。川原さんは調査団員や軍医らを乗せた船舶司令部の車で市内一円を回り、撮っていた。
中心街の廃虚の様子や収容された重傷の兵士らを撮った写真は、広島への「特殊爆弾」を翌十日に「原爆」と判定した大本営調査団の陸軍参謀が記した報告書つづりにも添付されていた。
【写真説明】広島市最大の繁華街、現在の中区基町の県庁舎南側から八丁堀に至る「1945年8月9日」の光景。左の8階建てビルは福屋百貨店(現存)、その奥は中国新聞社新館。木々は爆風で根元からなぎ倒されている
    
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