日本原水協系の原水爆禁止2005年世界大会は二日目の三日、広島市中区の厚生年金会館で国際会議を続けた。セッションでは、広島の被爆者や、核実験・原発事故などによる世界各地の核被害者らが発言。核兵器廃絶や核被害の防止、救済に向け意見交換した。
「被爆者、世界の核被害者との連帯」のセッションには、三百人余りが出席。小学一年の時に広島で被爆した嘉屋重順子さん(66)=西区=は、被爆前に家族十人で写した記念写真を示しながら、姉二人が命を落とし、自らもやけどをして苦労した体験を語った。
そのうえで、「いつまた核兵器が使われるか分からない。もっと被爆者が訴えなければ」と体験継承の必要性を訴えた。
核兵器用プルトニウムの生産拠点があるロシア・チェリャビンスク地方の核被害者団体「アイグル」のミーリャ・カビロワ議長は、核施設事故による住民の放射線被害の実態を報告。「全世界で大量の放射性物質が蓄積されている。放射能に国境などない。核の安全はすべての人にかかわる問題だ」と強調した。
午後からの分科会では、「被爆者、核被害者の連帯」と、初日に続き「核兵器廃絶の展望」「憲法第九条」の計三つのテーマごとに議論を深めた。
【写真説明】家族の写真を手にした被爆者の証言を聞く国際会議の参加者たち
    
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