■止めたい体験風化
この広島の街に米国が一発の原子爆弾を投下してから、六日で六十年となる。還暦の歳月を重ねても、被爆者や遺族の怒りと悲しみは癒えはしない。核拡散の悪夢が現実のものとなっている不穏な国際情勢を思うとき、その怒りと悲しみはさらに強まる。あす、めぐり来る原爆の日。私たちはそんな被爆者や遺族の声を、しっかりと胸に刻んでいるだろうか。(江種則貴)
原爆は威力として知られたか、人間的悲惨として知られたか―。周囲の偏見を恐れ、社会の片隅で暮らす原爆小頭症患者がいる。言葉で伝えられないもどかしさを抱えながら戦後を生きた被爆ろう者がいる。私たちは、そんな人たちと思いを一つにして、この時代を過ごしてきただろうか。
核拡散の流れは止まらず、テロが繰り返される。核軍縮を追求するよりも、テロリストが核を入手することをいかに防ぐかを考える国際社会。それは大国の核兵器保有を当然視する、あるいは必要悪とする思考に通じる。被爆者が「絶対悪」と呼ぶ核兵器の廃絶を真っ先に考えるのが、次世代に対する責任の果たし方ではないだろうか。
還暦のよわいを重ね、被爆者は老いた。肉声を聞く機会は、少なくなりつつある。
中国新聞社がこの夏に実施したアンケートで、被爆者と若者それぞれ三割以上が「体験継承は不十分」と答えた。すれ違いの原因は何だろう。人類未曾有の体験でありながら、六十年の歳月で、もろくも風化するものなのだろうか。
秋葉忠利広島市長は六日の「平和宣言」で、今後の一年間を「継承と目覚め、決意の年」と位置付ける。被爆者の心を受け継ぎ、行動を起こそうと呼び掛ける。
被爆者健康手帳を持つ被爆者は今年三月末時点で、市内に約八万二千人、全国に約二十六万七千人。この十年間でそれぞれ二割近く少なくなった事実は冷酷だ。被爆体験に耳を傾けよう。記憶をこの地に刻みつけよう。六十年を節目と呼ぶために。次の世代に思いを引き継ぐために。
【写真説明】私たちは被爆の記憶を共有できるだろうか。平和記念公園で6日の平和記念式典の準備が進む。あす、被爆60年
    
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