広島、長崎への原爆投下をめぐり、日米で衝撃的な発言が相次いでいる。前防衛相の「原爆投下はしょうがない」発言に驚いていたら、今度は米国の核不拡散問題担当特使(前国務次官)が、記者会見で挑発的とも言える持論を展開した。「何百万もの日本人の命がさらに犠牲になるかもしれなかった戦争を終わらせた」との内容である。
広島や長崎をはじめ、各地の被爆者にとって絶対に容認できない内容といえる。戦後六十二年、営々と積み重ねてきた核廃絶への取り組みは、いったい何だったのか。そんな虚脱感に襲われる人もいるのではないか。
もちろん、この特使の認識が米国内で突出しているわけではない。歴代政権が広島と長崎への原爆投下を正当化しているのは周知の事実とされる。クリントン前大統領も在任中の一九九五年、原爆投下を命じたトルーマン元大統領の決定の是非について「当時の事情を考えればイエスだ」と回答。謝罪の必要はないとの見解も示している。
核兵器の残虐さについては、あらためて説明するまでもなかろう。熱線や爆風で、瞬時にして無差別に万単位の人命を奪う。死を免れても、放射線被害の後遺症が続く。仮に直爆を避けられたにしても、肉親や知人を捜して爆心地や周辺を歩き回った人、けが人などを介抱した人にまで放射線障害が及ぶ。「悪魔の兵器」とも呼ばれるゆえんだ。
国連の主要機関の一つである国際司法裁判所(ICJ)が「核兵器の使用と威嚇は一般的に国際法に違反する」と初の司法判断を示して十一年になる。この判断は唯一の被爆国である日本の体験に根差している。
しかし、核兵器をめぐる世界情勢は、軍縮に向かうどころか、拡散の傾向もあり、厳しさを増す一方だ。地球上には今なお、約二万七千発の核弾頭があるとされる。米国は核実験を伴わない新型核の開発にも意欲を示しており、核使用の危険は高まりつつある。
二年前に死去したローマ法王ヨハネ・パウロ二世は、二十六年前に訪れた広島市の平和記念公園でこう述べた。「戦争は人間のしわざです。過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことです」。日本政府は「核廃絶に尽くす」としているものの、ひたむきさがいまひとつ伝わってこない。被爆国の使命を肝に銘じたい。
    
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