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【天風録】被爆者供養の仏像 |
'07/7/9 |
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「水を、水を」と、どこへ行っても手が伸びてくる。水筒の水を口に含ませてあげた。結局、百六十人ほどが息を引き取った―。旧制中学四年の時に被爆した広島市南区の浜田一さん(78)は、父を捜し回った先々の情景が六十二年たっても忘れられない▲二年後、仏像を集めだす。一体求めるごとに、一人供養できるように思えたからだ。「末期の水」になってしまった自責の念もあったのだろう。譲り受けたり、著名作家に作ってもらったり。二十四年かけて百六十体になった▲自分でも彫り始める。ノミを振るうと、水を求めた被爆者のうめき声が聞こえてきた。八年間で目標の百六十体を完成させた。その後も集め続け、今では五千体を超す▲自宅ビルの四階すべてを安置場所にして、朝晩お経をあげるのが日課だ。土木会社を創業し、ゆとりもあったが、それにもまして「犠牲者の慰霊、供養が広島の平和の原点」との気持ちが強い。あの一人一人や父親と日々向かい合い、「原爆は人間がもたらした最大の悲劇」と訴える▲かの前防衛相の「しょうがない」発言は、原爆投下容認論と批判された。だが単に、認める、認めないの問題ではない。きのこ雲の下でどんなことが起きたのか。死没者一人一人に命があり、名前があり、生活があった。それを奪った人道上の罪の議論が欠けていなかったか▲原爆被害は、人数でとらえられたか。それとも、人間の問題として語られたか。あらためて問われる。
    
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