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【天風録】「生き残った」被爆者 |
'07/7/23 |
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妹の顔を見ても誰か分からなくなったのに、原爆で行方不明になった長男のことだけはしっかり覚えているという。寝たきりになった女性(97)を見舞った時のことだ。息子さんの名前を伝えると突然、涙ぐんだ▲六十二年前の出来事がよみがえったのだろう。旧制中学三年、十四歳だった長男は、建物疎開の作業に出掛けたまま、帰ってこなかった。数年前まで、会うたびに「あの子はまだ街のどこかに埋まっている。きょうも捜してきたの」と話していた▲何も知らずに若者が広島の地面を踏み付けて歩くのを見ると、「やめて」と叫びたくなったという。後日届いた手紙には「被爆の記憶が年々薄れていくようで、つらい」と記されていた▲思えば取材で会った被爆者から忘れられない話をたくさん聞いた。旧制高等女学校の二年だった女性は、級友がほとんど即死し、友達の家族を見かけると思わず物陰に隠れた。自分が生きているのが後ろめたかったからだ。「生き残った被爆者」という言い方は、死ぬのが当たり前と言われているように思えて、嫌だった▲学童疎開中に母と姉、弟を奪われた男性は、亡くなった家族の人数を告げ合い、少ないと負けたような気がした。人間の死にどんなに無感覚になっていたか、と悔やむ▲8・6まで半月。今も地球上に核弾頭が二万七千発以上ある。「私たちの体験が忘れられたら、再び悲劇が起きる」。何人もの被爆者の声が耳から離れない。
    
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