被爆体験をどう継承していくのか。被爆地ヒロシマに突き付けられた古くて新しい課題だ。原爆投下から間もなく六十二年。被爆者の平均年齢は七十四歳を超えた。証言できる人が次第に減る中、継承は一層困難になってきている。
だからこそ、世代を超え、県境や国境を越えて伝え続けることが必要だ。原爆が、住民や街に何をもたらしたのか…。被爆体験は、「絶対悪」の核兵器廃絶を世界に訴え続けるヒロシマの主張の根幹。人類の未来のために課された責任はますます重くなっている。
心強い動きがある。広島市立小中学校で、「8・6」の原爆の日を登校日にして平和について学ぶ学校が増えている。被爆六十年の一昨年は十校程度だったが、市教委が積極的に呼び掛け始めた昨年は九十五校に急増、今年は百七十校と全二百四校の八割を超えた。内容も被爆体験を聞いたり、黙とうをしたりするなど受け身の「学習」から、子どもたち自身が平和への思いを考えて発表するなど主体的取り組みが目立つという。
もちろん学校に任せて済む問題ではない。「押し付け」と感じられれば、逆効果になる。子どもたちの関心をどう引きつけるか、親世代に被爆者がいなくなった今、時代にあった工夫が必要だろう。
今夏公開の二つの映画が示唆に富む。日系米国人三世のスティーブン・オカザキ監督のドキュメンタリー「ヒロシマナガサキ」と、広島市西区出身の漫画家こうの史代さんのコミックが原作の「夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国」だ。核の脅威から依然解放されない今の若者に原爆被害を伝えようとする姿勢が共通している。声高な主張ではなく、淡々とした訴えも心にしみいる。
若い人に見てほしい―。二つの映画には、そんな思いを持つ市民団体が協力している。撮影の手伝いや話題づくりなどでも支えた人たちは言う。若い世代や他県の人は、ヒロシマに向き合うチャンスがなかった。映画がきっかけになれば、と。熱気の広がりからか、映画を見た小学校の校長が、四年生以上の全児童の団体観賞の準備を進めるなど手応えも出ている。
映画でも漫画でも、子どもたちになじみやすい素材を選ぶ。過去の悲劇ではなく、自分たちの問題でもあることを親や地域の人も一緒に学ぶ。そして、子どもたちの心に届いているか話をしてみる。そんな小さなことでいい。自分には何ができるのか、あらためて考えて、8・6を迎えたい。
    
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