仏事でいう五十回忌をとうに済ませ、半世紀の節目も去った。還暦の六十年も過ぎている。一九四五年八月六日、広島市への原爆投下で始まった核時代。犠牲者を悼む大小のつどいがきょうをピークに、ことしも市内外で繰り広げられる。一方「いつまで原爆、原爆と言わんといけんのかのう」と疑問のつぶやきも漏れてくる。
市内で建物疎開中に被爆死した旧制高等女学校の同級生二百二十三人をしのぶ初めての追悼集が今月、発行された。編集に奔走した七十五歳の女性は「向こうで、おかっぱ頭のままの友だちに会った時に『あんたら、長生きしながら何しとったん』と言われたくない。その思いからでした」と明かす。
被爆者の無念が晴らされているのなら、いつまでも原爆にこだわる必要はあるまい。熱線、爆風、そして放射線。通常爆弾をはるかに上回る威力で人体を極限までさいなみ、一気にあるいは後障害で苦しめた末に生命を奪う。「水をください」「死にとうない」という叫びは「核兵器はもう決して使わないで」との願いに昇華したのではないか。被爆者の悲願がかなうどころか、遠のくばかりの状況が続く限り、私たちは原爆についていつまでも「言わんといけん」のである。
核保有論議再び
北朝鮮が昨年十月九日に強行した初めての核実験が、「核の脅威にさらされている」と日本国民の不安を増幅させたのは間違いない。政府与党内に以前からくすぶっていた核保有論議が不安に乗じて再び頭をもたげてきた。
「一つの考えとしていろいろな議論をしておく」とか「やられたらやり返すという論理はありうる」との物言いは巧妙だ。一九九九年十月、小渕恵三内閣の防衛政務次官が品位のない文言も交えて核武装の必要性に言及して批判を浴び、事実上更迭されたのは記憶に新しい。今回発言した政治家らは「論議そのものを否定するのか」と逆襲。安倍晋三首相は自身もかつて「小型なら憲法上問題ない」と述べたとされており、発言すること自体は容認する姿勢を示している。
この種の主張にたいしては論議を封じるのではなく、立論を徹底して検証することが大切だ。その前提となるのが被爆体験である。核保有論者はヒロシマの訴えをしばしば「あまりに情緒的」と切り捨てる。誤解しないでほしい。私たちは被爆の事実を直視するよう求めているのである。惨状を再び繰り返さない。この命題から出発すれば、核保有論が成り立つ余地はほとんど見いだせないのではないか。
揺るがぬ非核を
核保有論にはいわゆる保守陣営内部からも反論が出された。米国の核抑止力に頼る「核の傘」から外れると、核拡散防止条約(NPT)体制からも離脱して核燃料などをめぐる国際協力が得られず、原発も稼働できなくなる―。日米安保条約を存続させる現状維持の立場からの指摘である。米国とも一致しており、現実政治ではこれが大勢かもしれない。
現実論といえば、国是としてきた非核三原則の「持たず」「つくらず」「持ち込ませず」のうち、第三項は在日米軍の存在で現実に空洞化しているとの解釈もある。この際、公然と受け入れ、米国の核搭載艦船が常時寄港した方が抑止効果が高まるとの主張につながりかねない。
日米同盟堅持と非核三原則見直しという二つの議論に対しては、安全保障を米国任せにする無責任な路線だとの批判がある。そればかりでなく、現状を固定化して容認する見方ともいえる。日米安保体制は永続的な枠組みなのか、自国内にいつまでも他国の軍隊を配備するのか。日米関係も含め、現時点での国際関係は将来変わり得るし、変える必要も起こり得る。そう考えないと、核廃絶の訴えは貫けまい。
現状を少しでも打開しようと、九七年の平和宣言で平岡敬前広島市長は「核の傘」に頼らない安全保障体制構築への努力を求めた。自治体として精いっぱいの表現だったろう。当時の橋本龍太郎首相は米国の意向に気兼ねして否定的だったと聞く。日本政府の姿勢が残念でならない。
NPT体制はインド、パキスタンに続く北朝鮮の核実験で、ますます不安定になった。米国は北朝鮮の核放棄に向けて六カ国協議を生かしながら対話重視の姿勢を強め、イランの核問題でもイラク情勢安定化につながる方策を模索している。日本は非核保有国として、核軍縮の促進を軸にしたNPT体制再強化に尽力すべきだろう。
語っておかねば
被爆体験の風化がいわれて久しいが、ことしは少し違う。被爆者の間で「今、語っておかなければ」との思いが強まっているように感じられる。数々の証言を盛り込んだ映画やドラマ、書籍が新たに登場するのもそのためだろう。しっかり学びたい。
原爆症の認定基準をめぐる訴訟では原告の被爆者側勝訴、被告の国側敗訴の判決が相次ぐ。いったん決めた行政の基準を改めるには、もはや政治判断しかないとも目されている。安倍首相はきのう、広島市内で被爆者団体代表らと面会。首相としては六年ぶりの直接対話の席で、認定基準見直しについて検討する意向を初めて明らかにした。解決につながるよう期待したい。
できるだけ多くの人がきょう一日、平和記念公園をはじめ広島の街をわずかでも巡ってほしい。ここかしこで六十二年前の痕跡と出合えるだろう。核問題を考えるよすがになれば幸いである。結論は急がなくていいから。
    
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