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【天風録】見れども見えず |
'10/8/6 |
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わが家の目と鼻の先にたたずむ原爆ドーム。窓際のピアノや勉強机に向かえば、世界遺産のシルエットが視界に飛び込んでくる。爆心地そばの寺で生まれ育った小6の高松樹南さんにすれば変哲もない風景だったのだろう▲「この地に原爆が落とされたことさえ忘れていました」。気付かせてくれたのは家族旅行で境内の墓地に立ち寄った福岡県の中学生。熱線で焼け、石肌がざらつく墓をさすっていた。いたわるような手つきや表情を目の当たりにした時、恥ずかしさがこみ上げてきたという▲毎日が平和学習のような環境も「心ここにあらざれば見れども見えず」。儒者の教えが思い出される。樹南さんはけさ、広島市の平和記念式典にこども代表として臨む。どんな思いを込め、誓いの言葉を読み上げるだろうか▲「平和」と題した谷川俊太郎さんの詩がある。「平和/それは空気のように/あたりまえなものだ」。65年もの間、この国は戦争のない「空気」を満喫することができた。しかし海外を見渡せば、そんな国はあまり多くない▲「あたりまえ」を時には疑ってみたい。外からヒロシマに向けるまなざしや感性に、わが身を省みることも多かろう。被爆地に住む私たちにとって見慣れた原爆ドームはきょうも、遠来の客を数多く迎える。
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