▽「ピカの村」最後の夫人
ひとり、仏壇の前に正座する。午前8時15分。手を合わせ、小さな声で何度も南無阿弥陀(あみだ)仏を唱える。被爆68年の「8・6」。「何年たっても、あの日がよみがえる。さぞ苦しかったでしょう」。亡き夫に思いをはせた。
安佐南区川内6丁目の野村マサ子さん(92)。24歳の時、川内村国民義勇隊の一員として市街地の建物疎開に従事していた夫信一さん=当時(30)=を原爆で亡くす。川内で同じように原爆に夫を奪われた女性は70人以上。「ピカの村」と呼ばれた。歳月を重ね、存命は野村さんだけとなった。
優しかった夫。体を真っ黒に焼かれ、苦しみながら逝った。「残った者も地獄を見ました」。2歳の娘を育てるため、とにかく働いた。必死に土を耕し、日雇い労働にも出た。
仕事に追われていた毎日。唯一、心を無に夫と向き合えるのが月命日だった。同じ境遇の女性たちも、地元の寺で営まれる法要に集まる。「励まし合い、一緒に泣きました」と野村さんは振り返る。
地元の遺族会が平和記念公園(中区)近くで慰霊祭を開くようになると娘と通った。寄る年波。5年前からは、「8・6」は自宅で迎える。
つい、独り言も出る。「平和がいつまでも、続けばええが」。今ではひ孫が4人。「夫に報告できることも増えてきた」。仏間のかもいにある夫の遺影を見上げた。(田中美千子)
【写真説明】亡き夫を思い、仏壇に手を合わせる野村さん(撮影・室井靖司)




