漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんが昨年12月に亡くなってから初の原爆の日を迎えた。妻ミサヨさん(70)=広島市中区=は平和記念公園を訪れ「核兵器と戦争がなくなるまで、作品が読み継がれてほしい」と願った。
漫画はことし、連載開始から40年を迎えた。6歳の時に爆心地から約1・2キロで被爆し、父、姉、弟を奪われた啓治さん。体験を基にした微細な描写とストーリーに、強烈な反戦メッセージを込めた。「こわばった顔で机に向き合うこともあった。描くのは苦しかっただろうが、被爆者全員の怒りをペンにぶつけていた」。ミサヨさんは夜中まで作業を手伝った日々をそう振り返る。
漫画は留学生やボランティアたちが英語、ロシア語、フランス語など約20カ国語に翻訳。この日は、日英対訳の絵本の新装版も発刊された。いまなお広がるメッセージ。「俺が死んでもゲンは残る、と繰り返していた。国や言語が違っても夫の心は通じている」。ミサヨさんは、原爆資料館に展示された原画に見入る外国人たちに目を細めた。
いじめで自殺する子どものニュースや改憲論議に心を痛める。「踏まれても踏まれても麦のように立ち上がってほしい」「今の憲法があるから68年も戦争がなかった」―。啓治さんの言葉が頭をよぎるからだ。
「夫は原爆や戦争の悲惨さが伝わるだけでは満足しなかった。漫画に込めた、生きる大切さや他者への優しさをできる限り広めたい」。夫の「分身」であるゲンを発信し続けるつもりだ。(久保田剛)
【写真説明】この日発刊された絵本を手に、作品が生き続けることを願うミサヨさん(撮影・山崎亮)




