原爆ドーム(広島市中区)の前身、県産業奨励館の近くに、原爆投下の直前まで住んでいた被爆者、山内悦子さん(84)=新潟市東区=が、思い出の地に立った。平和記念式典には新潟県の遺族代表として4回目の参列。風化に耐えて踏みとどまるドームのそばで、被爆して亡くなった父との暮らしを回想した。
元安川を背に山内さんがドームの上部を指さした。「3人ほどが立てるバルコニーがあったんです。元安川や中島本町の方を眺めて、早く戦争が終わればいいと思ってた」
父の林鷹三さんは奨励館内にあった内務省中国四国土木出張所の所長付き運転手だった。一家4人で1944年夏から45年初夏まで奨励館南側の官舎で暮らした。山内さんは時折、父を訪ねて奨励館内を探索した。「つらいばかりの戦時下の暮らしの中で、美しいドームにずいぶん心が和らいだ」と懐かしむ。
あの日、山内さんは越して間もない牛田の官舎で被爆する。爆心地付近で建物疎開の作業をしていた父は背中に大やけどを負い、8月19日に39歳で亡くなった。山内さんは母の故郷の富山県に戻り、結婚後に新潟県へ。家事や子育てに追われ、広島から足が遠のいた。
ようやくドームと向き合い、式典に参列したのは94年。ドームではことし、耐震化へ向け、世界遺産登録後初めてとなる本格的な調査が始まった。
新潟大で年2回、被爆者として平和学の非常勤講師を務める。被爆前のドームの様子を話すと、学生たちに驚きの表情が広がる。「大好きな父を奪い、町並みを壊した戦争だけはごめん。若者に伝え続ける」。誓いを新たにした。(岡田浩平)
【写真説明】家族写真を手に、自宅があった原爆ドーム前を訪れた山内さん(撮影・山崎亮)




