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市民球場で達成。恩返しができた 衣笠祥雄 '10/3/26

 ▽1987年6月13日 2131連続試合出場の世界新記録

 この笑顔はね、周りのみんなが笑ってくれているからなんだ。(連続試合出場が)2千試合を超えてからは、期待が高まるのをひしひしと感じていたからね。とにかく責任を果たせてほっとした気持ちだったよ。

 あの日(1987年6月13日)は朝から雨でね。中止になったら翌日は確か徳山(現周南市)でのゲームだったはず。できれば、世界記録更新は市民球場で、と願った。歴代の監督やチームメート、スタッフやファンの皆さんに、少しは恩返しができたのかな。

 記録を自分から気にしたことは、一度もない。ただ、節目では必ず意識させられた。78年に「連続千試合」と大きく報道されたのが最初だったかな。

 打率2割(7厘)で全試合使ってもらった年もある。けがぐらいで休もうなんて思わなかったよ。79年に死球で(左肩を亀裂)骨折した翌日に出場したことは、当時の日本記録(1246試合、飯田徳治=国鉄)に迫っていたから、よく話題にのぼる。でも、大きなけがは過去にも経験していた。あれが初めてだったら、ひょっとしたら休んでいたかもしれない。

 あの年は、よく先発を外されてベンチから野球を見た。寂しかったよ。入団から3年間は試合に出たくても、出られなかった。だから毎日出場するのは僕の願いであり、楽しみだったんだ。練習すれば必ずうまくなると信じていたし、引退を決める時までそう信じ続けることができた。

 カープは低迷が続いて、まるで僕が入団したころに戻っちゃったね。70年ごろから、野手は衣笠、ミム(三村)、水谷、コージ(山本浩)、水沼の5人がほぼ同じメンバーで戦い、75年の初優勝を迎えた。今季以降、続けて活躍する野手が、何人か出てきてほしいよ。

 きぬがさ・さちお 内野手。47年生まれ。京都・平安高(現龍谷大平安高)から65年入団。76年に盗塁王、優勝した84年に打点王とMVPを獲得した。87年に当時の世界記録の2130試合連続出場を更新した「鉄人」。その記録を2215試合まで伸ばし、17年連続全試合出場を果たした。通算2543安打、504本塁打、1448打点。1587三振はリーグ最多。87年に国民栄誉賞を受賞し、引退。背番号3は永久欠番。96年殿堂入り。63歳。

衣笠祥雄の生涯打撃成績
試合安打本塁打打点盗塁打率
1965 28 7 1 2 0.159
66 32 5 0 2 1.147
67 28 12 2 5 1.250
68 127 10921 58 11.276(14)
69 126 10715 46 32.250(19)
70 126 10219 57 13.251(20)
71 130 13127 82 12.285( 2)
72 130 14729 99 12.295( 4)
73 130 9419 53 6.207(25)
74 130 11932 86 7.253(21)
75 130 13221 71 18.276(18)
76 130 15626 69☆31.299(15)
77 130 13625 67 28.265(29)
78 130 12330 87 9.267(33)
79 130 11420 57 15.278(22)
80 130 14431 85 16.294(12)
81 130 13430 72 7.271(23)
82 130 13529 74 12.280(17)
83 130 14527 84 8.292(19)
84 130 16131☆102 11.329( 3)
85 130 14028 83 10.292(19)
86 130 9824 59 4.205(31)
87 130 9217 48 2.249(30)
通算267725435041448266.270
☆はタイトル。かっこ数字は打撃・投手順位

【写真説明】衣笠祥雄(元プロ野球選手)



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