▽1987年6月13日 2131連続試合出場の世界新記録
この笑顔はね、周りのみんなが笑ってくれているからなんだ。(連続試合出場が)2千試合を超えてからは、期待が高まるのをひしひしと感じていたからね。とにかく責任を果たせてほっとした気持ちだったよ。
あの日(1987年6月13日)は朝から雨でね。中止になったら翌日は確か徳山(現周南市)でのゲームだったはず。できれば、世界記録更新は市民球場で、と願った。歴代の監督やチームメート、スタッフやファンの皆さんに、少しは恩返しができたのかな。
記録を自分から気にしたことは、一度もない。ただ、節目では必ず意識させられた。78年に「連続千試合」と大きく報道されたのが最初だったかな。
打率2割(7厘)で全試合使ってもらった年もある。けがぐらいで休もうなんて思わなかったよ。79年に死球で(左肩を亀裂)骨折した翌日に出場したことは、当時の日本記録(1246試合、飯田徳治=国鉄)に迫っていたから、よく話題にのぼる。でも、大きなけがは過去にも経験していた。あれが初めてだったら、ひょっとしたら休んでいたかもしれない。
あの年は、よく先発を外されてベンチから野球を見た。寂しかったよ。入団から3年間は試合に出たくても、出られなかった。だから毎日出場するのは僕の願いであり、楽しみだったんだ。練習すれば必ずうまくなると信じていたし、引退を決める時までそう信じ続けることができた。
カープは低迷が続いて、まるで僕が入団したころに戻っちゃったね。70年ごろから、野手は衣笠、ミム(三村)、水谷、コージ(山本浩)、水沼の5人がほぼ同じメンバーで戦い、75年の初優勝を迎えた。今季以降、続けて活躍する野手が、何人か出てきてほしいよ。
きぬがさ・さちお 内野手。47年生まれ。京都・平安高(現龍谷大平安高)から65年入団。76年に盗塁王、優勝した84年に打点王とMVPを獲得した。87年に当時の世界記録の2130試合連続出場を更新した「鉄人」。その記録を2215試合まで伸ばし、17年連続全試合出場を果たした。通算2543安打、504本塁打、1448打点。1587三振はリーグ最多。87年に国民栄誉賞を受賞し、引退。背番号3は永久欠番。96年殿堂入り。63歳。
衣笠祥雄の生涯打撃成績 |
| 試合 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
1965 | 28 | 7 | 1 | 2 | 0 | .159 |
66 | 32 | 5 | 0 | 2 | 1 | .147 |
67 | 28 | 12 | 2 | 5 | 1 | .250 |
68 | 127 | 109 | 21 | 58 | 11 | .276(14) |
69 | 126 | 107 | 15 | 46 | 32 | .250(19) |
70 | 126 | 102 | 19 | 57 | 13 | .251(20) |
71 | 130 | 131 | 27 | 82 | 12 | .285( 2) |
72 | 130 | 147 | 29 | 99 | 12 | .295( 4) |
73 | 130 | 94 | 19 | 53 | 6 | .207(25) |
74 | 130 | 119 | 32 | 86 | 7 | .253(21) |
75 | 130 | 132 | 21 | 71 | 18 | .276(18) |
76 | 130 | 156 | 26 | 69 | ☆31 | .299(15) |
77 | 130 | 136 | 25 | 67 | 28 | .265(29) |
78 | 130 | 123 | 30 | 87 | 9 | .267(33) |
79 | 130 | 114 | 20 | 57 | 15 | .278(22) |
80 | 130 | 144 | 31 | 85 | 16 | .294(12) |
81 | 130 | 134 | 30 | 72 | 7 | .271(23) |
82 | 130 | 135 | 29 | 74 | 12 | .280(17) |
83 | 130 | 145 | 27 | 84 | 8 | .292(19) |
84 | 130 | 161 | 31 | ☆102 | 11 | .329( 3) |
85 | 130 | 140 | 28 | 83 | 10 | .292(19) |
86 | 130 | 98 | 24 | 59 | 4 | .205(31) |
87 | 130 | 92 | 17 | 48 | 2 | .249(30) |
通算 | 2677 | 2543 | 504 | 1448 | 266 | .270 |
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☆はタイトル。かっこ数字は打撃・投手順位 |
【写真説明】衣笠祥雄(元プロ野球選手)
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