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あこがれ入団。涙に詰まった思い 山本浩二 '10/3/26

 ▽1975年10月15日 初優勝した後楽園球場で胴上げ

 初優勝の時か…。ずっと苦しかったから例えようのない喜びがあったね。もう35年も前になるけど、あの日(1975年10月15日)のことは今でも鮮明に覚えている。

 「勝てば優勝」。試合前から、それはみんな分かっていたが、誰も何も言わない。ただでさえ緊張しているのに、口にすれば、重圧で体が動かなくなると思っていたからね。

 あの年は前半戦から激しい首位争いをしていた。でも、前の3年間が最下位。やっている自分たちも半信半疑で優勝できるなんて考えてなかった。たぶんファンの人たちもそうじゃなかったかな。だって優勝どころか、25年間でAクラスが1度だったんだから。

 優勝を意識したのは8月ぐらい。それからは、もうプレッシャーなんていうもんじゃない。自分が打てない時は「誰か打ってくれ」と祈り、その日その日が必死。試合が終わると疲れ果ててね。どんな日常生活をしていたかは覚えてないよ。

 チームは一丸だったね。ピッチャーは外木場さんがフル回転。池谷も頑張ったな。打線は1番の大下さんが出て、(2番の)三村がうまく進塁打を打ったよ。ホプキンスも勝負強かったな。ここ一番で点を取れる強さがあった。

 ただ、決してぽっとやって優勝したわけではないぞ。当時は分からなかったが、昭和40年代の猛練習が土台になったし、ファンの存在も大きかった。市民球場は連日超満員で、ものすごい後押しをされたよ。

 それに先輩たちがカープを築いてくれたからこそ。わしは広島で生まれて、カープファンになり、カープに入れた。そして優勝の一員になれた。(胴上げ後、雄たけびとともに流した)あの涙にはそんな思いが詰まっていたんだ。

 やまもと・こうじ 外野手。46年生まれ。広島・廿日市高―法大から69年入団。首位打者1度、本塁打王4度、打点王3度、MVPも2度獲得した「ミスター赤ヘル」。77年からは5年連続40本塁打、100打点をマークした。通算2339安打、536本塁打は歴代4位。ベストナインとゴールデングラブを各10度受賞した。86年に引退。背番号8が球団史上初の永久欠番となる。91年に第13代監督としてリーグ優勝。08年殿堂入り。63歳。

山本浩二の生涯打撃成績
試合安打本塁打打点盗塁打率
1969 120 88 12 40 9 .240(22)
70 128 112 22 5621 .243(27)
71 123 108 10 5225 .251(16)
72 130 125 25 6618 .258(25)
73 126 121 19 4610 .269(11)
74 127 131 28 7418 .275(17)
75 130 144 30 8424☆.319( 1)
76 129 136 23 6214 .293(16)
77 130 138 44 11322 .308(15)
78 130 153☆44 11212 .323( 6)
79 130 137 42☆11315 .293(14)
80 130 148☆44☆11214 .336( 3)
81 130 156☆43☆103 5 .330( 6)
82 130 137 30 90 8 .306( 7)
83 129 146 36 101 5 .316( 4)
84 123 128 33 94 5 .293(18)
85 113 110 24 79 2 .288(24)
86 126 121 27 78 4 .276(15)
通算228423395361475231.290
☆はタイトル。かっこ数字は打撃・投手順位

【写真説明】山本浩二(元プロ野球選手)



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