氏原さん ―人をひきつける雁木
前田さん ―さくがない点に共感
藻谷さん ―古いもの活用が大事
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干潮の元安川沿いで、都心の魅力づくりに話が弾んだ川端トーク
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藻谷 広島で水辺に住んでいる人がどれぐらいいるんでしょう。
前田 水辺から、子どもの生活圏である二百五十メートルで計算すると、広島市のデルタ人口約四十八万人のうちの四割弱、約十八万人が水辺に住んでいると言って差し支えないでしょう。
藻谷 そんなに多いのですか。広島の川にはさくがありません。子どもが川に落ちて亡くなったら、さくをつけろという議論にならないんでしょうか。
坪井 人を信頼しないと、さくがいる。プールで泳ぐ今と違い、川が七本あった昔は激流で鍛えられ、十分訓練していた。親も子ども同士で泳ぐのを信頼していた。
氏原 雁木タクシーをやり始めて、白島(中区)牛田(東区)辺りでは、干潟でけっこう遊んでいる人がいるのに気づいた。雁木によっては必ずカップルがいたり、釣りスポットだったり。意外に人がいますね。
前田 私もよそ者なので、さくがないのは驚いた。二十年ぐらい前の東京でのシンポジウムで話題になった。地域全員が「さくは要らない」と言ったとする。で、子どもが落ちて亡くなった。出席していた弁護士は「裁判では行政の責任が問われる」と言った。その時、「さくは子どもの危険予知能力や、美しい風景を感じる能力をはぐくむ機会を奪っていないか」との発言があって、共感した。
藻谷 都心の遊覧船に乗った経験のある方はおられますか。
(会場から)佐々木さん 所要時間は約四十五分。干潮と満潮、上りと下りで街の景色が違うのが面白い。ビールも飲めるし、料金も手ごろだし、重宝されているのではないか。
藻谷 そもそも昔のまちは、川を中心にできていたと聞く。大八車の時代は、大きな物を運ぶには川しかない。だからまちは、川から見て一番きれいに見えるように造ってあるという話です。
氏原 江戸時代の絵図では、まちの機能のほとんどは川辺に集まっている。大きな商家や武家屋敷も川辺にあり、家の裏には雁木や裏木戸があり、そこで行き来をしていたと。そうでなければ広島市内に三百も雁木は要らない。
坪井 広島も川で物を運ぶのが中心だった。すぐそこの元安橋は山陽道。だから平和公園を造る時、車が通る道路は要らないという話もあったが、結局残した。
氏原 「水の都」の昔の営みが一番感じられるのが雁木ではないか。雁木を知らない広島の人も多い。このままでは、護岸整備で知らないうちに雁木が消える心配がある。これが雁木にこだわる理由の一つだ。私たちが安全に乗り降りできると判断した雁木は、二十一カ所しかない。
藻谷 人が使わなければ残す意味はないので、どんどん消える。広島のまちづくりでは、行政も川を非常に大事にしていて、古いものを一生懸命残そうとしているように見える。
前田 東京の荒川は、河川交通のルールを全国で初めてつくった。アシが生えている場所のそばはゆっくり走るとか。国土交通省が音頭を取って、流域のいくつもの自治体を束ねたのだから、すごいエネルギーだと思う。活発に使えば使うほどそういうルールが必要になってくる。
(会場から)高校非常勤講師菅宏さん(59)=安佐南区 川がきれいかどうかは、住民の心や生活が清潔かどうかを映し出している。ヨットやカヌーなど遊びの場として利用することも考えていくべきだ。
(会場から)無職浜桐健福さん(43)=佐伯区 広島では川をきれいにする市民活動をあまり聞かないのが残念。市民が川の魅力をちゃんと見てこなかったのかもしれない。