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疎開先の清水、原爆犠牲者に 広島で献水「魂安らげば」 '08/7/29

 「原爆の犠牲者に、せめて清らかな水を飲ませてあげたい」と、戦時中、上水内村(現広島市佐伯区湯来町)に疎開していた仁保国民学校(現仁保小=南区)の元児童たち五人が二十八日、疎開先のわき水や井戸水をくみ、広島市の元安川や本川に献水した。(山本秀人)

 六年だった中野光夫さん(75)=南区仁保=が呼び掛けた。当時、中野さんの宿泊場所の大福寺近くに住んでいた下前昭則さん(75)=佐伯区五日市中央=の案内で、約三時間かけて、六カ所のわき水や井戸水をくんだ。上水内国民学校(現湯来西小)に通う途中や遠足の際、のどを潤した思い出深い水だ。

 市中心部に戻った中野さんたちは平和記念公園(中区)の「平和の池」や川に献水。犠牲者の冥福を祈った。

 仁保国民学校では一九四五年五―九月、三―六年生約三百四十人が上水内村や隣の旧玖島村(現廿日市市)へ疎開。上水内村では五カ寺や上水内国民学校の分教場などで寝泊まりしていた。

 原爆投下時、中野さんは学校の正門近くで閃光(せんこう)を目撃。雷のような音を聞いた。「広島は全滅との情報で泣きじゃくった。夜遅くに仁保は比較的被害が少ないと聞き、ほっとした」。だが、爆風によるガラス片で傷つき、入市被曝(ひばく)した家族や知人も多い。九月に疎開先から帰宅する際に見た街の惨状はずっと頭から離れなかった。

 中野さんは「多くの人が水を求めて川に入ったと聞き、せめておいしい水を飲ませてあげたかった。清水が犠牲者の魂の安らぎになれば」と話した。

【写真説明】疎開先だった湯来町でくんだ清水を元安川に献水する中野さん(手前から3人目)たち


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