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被爆免れた街の面影さよなら 段原再開発、最終エリア近く着手 '08/8/8

 ▽戦前の流行建築も解体へ

 広島市の段原再開発事業(対象七四・五ヘクタール)で、最終エリアとなる南区段原山崎町の建物の解体工事が、今月末までに始まる。当初の事業着手から三十五年、総事業費は約千四百三十億円に上る。原爆による被災を免れた戦前の街並みの一つが、市中心部から姿を消す。

 段原山崎町は広さ約七・六ヘクタール。市段原再開発部によると、三百三十戸が暮らす。民家の間を幅数メートルの狭い私道が縫い、下水道整備も十分とはいえない。

 一方で、戦前に流行した洋館と和風建築の特長を併せ持った和洋折衷の民家も数軒残る。佐伯区八幡の医師藤原徹さん(61)の生家もその一つ。終戦(一九四五年)の数年前に建てられたという。借家人がすでに転居し、取り壊しを待つ。

 段原山崎町の造成工事は二〇一〇年の完成を予定する。町内を新たに区割りした換地先に戻るのは、現行世帯三百三十戸のうち、借家人を除いた約七割とみられる。

 町内の六十五歳以上の人口を示す高齢化率は、約35%。市平均18・3%の二倍近い。「元気で帰ってこられるか」「近所付き合いが取り戻せるのか」など住民に不安も残る。

 段原地区は爆心地から二キロ余り離れ、比治山の陰に位置していたため、焼失を免れた。その分、戦災復興の対象区域外となり開発が遅れたともいえる。

 再開発事業の都市計画決定は一九七一年。対象七四・五ヘクタールを西部(四八ヘクタール)と東部(二六・五ヘクタール)の二地区に分け、土地区画整理の手法で七三年に西部から事業着手された。

 西部は九八年に造成工事が終わったが、小規模な宅地の清算金をめぐって住民が反対運動を展開。市が、住民の支出額を抑える打開案を示して二〇〇六年に換地処分公告にこぎつけ、事業が法的に完了した。

 段原山崎町を含む東部は一九九五年に着手した。エリアの約六割に当たる段原日出町と上東雲町で造成工事が進み、更地化が加速。すでに一部で住宅やビルが新築されている。事業の法的な完了は二〇一三年を予定する。(武内宏介)

 ●クリック 土地区画整理事業

 再開発手法の一つ。公共施設整備と、良好な宅地化を同時に進めるのが目的。自治体などが、地権者から「減歩」として土地を一定割合で提供してもらい道路や公園、集会所などを整備する。このため事業後に地権者が所有する「換地」は以前の所有地よりは狭い。段原再開発では、小規模土地の場合は減歩率を緩和し、代わりに広島市に清算金を支払う方式を採用した。

【写真説明】<上>赤線内が、更地が広がる段原再開発の東部地区。このうち、青線内が近く解体工事に入る段原山崎町
<下>戦前の流行を色濃く残す和洋折衷デザインの民家(藤原さん所有)


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