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広島陸軍病院、戦前の息吹 被爆医師の遺族が写真提供 '09/7/10

 ▽慰霊碑清掃の佐久間さん、8・6に碑前で展示

 広島陸軍病院の原爆慰霊碑(広島市中区基町)を、11年以上清掃している佐久間ハツ子さん(82)が、戦前の病室などの貴重な写真を「原爆の日」に碑前で展示する。写真は、病院で被爆した医師の遺族が岡山市の古書店で2006年に入手。昨年8月6日に碑を訪れて佐久間さんと出会い、託した。

 佐久間さんが写真展を計画したのは、工藤恵康(よしみち)さん(60)=京都府=との出会いがきっかけだった。爆心地から約800メートルの病棟で被爆した元軍医故工藤功造さん(06年に91歳で死去)の長男である。

 昨年の8月6日、碑前で黙々と追悼を続ける佐久間さんの姿に心を打たれた恵康さん。亡くなった父の体験に迫ろうと集めた資料の中から、病院の写真の複写を佐久間さんに贈った。「記憶の継承に役立てて」と願った。

 写真は、1938年発行の病院写真帳(数十枚収録)と、前身の「広島衛戍(えいじゅ)病院」を30年代に写したとみられる12枚。このうち病棟外観や医師が手術に臨む姿、患者のリハビリなど15枚を展示する。

 佐久間さんは下関市で生まれ、育った。50年ごろから広島市内で暮らす。98年春、碑に近い県営住宅に転居して以降は毎日のように早朝や夕方、碑前を掃除する。

 大戦中、父親が従軍先のベトナムで病にかかり、帰国後に亡くなった。「戦争は二度と起こってほしくない」と佐久間さん。05年には、同病院職員の原爆死没者名簿を19年ぶりに復刻し、碑に訪れた遺族に配った。

 佐久間さんは「川辺にある碑は、往来は多いのに存在を知らん人が多くて寂しい。写真で原爆が奪った命を知ってもらえる」と思いを語る。まず7月18日〜8月2日に中央公民館(中区)で展示し、碑前には8月6日午前7時〜午後7時に掲げる。(水川恭輔)

【写真説明】<左>広島衛戍病院の「第二物療室」。傷病兵のリハビリの様子を伝える(工藤恵康さん提供)<右>慰霊碑の前で写真を手にする佐久間さん


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