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身重だった母しのぶ 胎内被爆した青森の藤田さん '09/8/7

 胎内被爆者の藤田和矩(かずのり)さん(63)=青森県八戸市=が6日、県遺族代表として平和記念式典に参列し、亡き母が被爆した広島市中区白島九軒町を訪れた。2年半前に腎臓がんを患い、「これが最後」と心に決めた3度目の8・6広島訪問。家族の運命を狂わせた自宅跡周辺に母が好きだった菊をささげ、祈った。

 藤田さんの両親は、原爆投下の4カ月前に見合い結婚。爆心地から約1・8キロに新居を構えた。妊娠中の母は被爆で自宅の下敷きとなったものの脱出し、翌年3月に藤田さんを産んだ。その後は寝たきりとなり、半年後の9月に21歳で死去した。心不全だった。

 初めて式典に参列した1982年以来、27年ぶりに自宅跡周辺を歩いた。近くの京橋川の土手に上がり、「身重の母が、どんな思いで逃げたか。私を産んだ後は体力が衰えて…。むごい運命です」と言葉を詰まらせた。

 2006年に2度目の参列をした後、07年3月に腎臓に8センチの腫瘍(しゅよう)が見つかった。「胎内被爆のせいでは」との思いがよぎったが、転移は見られず、体調は安定している。

 3度目の訪問を終え、藤田さんは「肌身離さず持つ母の写真が自分を守ってくれている気がする。まだ幼い5人の孫に、原爆の話を直接伝える責任がある」と語った。(藤村潤平)

【写真説明】京橋川の土手で、菊が好きだった亡き母に思いをはせる胎内被爆者の藤田さん


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