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父子が見た本通り 活況と静寂 '08/7/24

 広島随一の繁華街が映像でよみがえった―。広島市革屋町(現中区本通)で服地店を営んでいた故吉岡信一(のぶいち)さんが撮影した8ミリフィルム。原爆が粉々にしたなじみの街並みに映像で再会した長男宏夫さん(82)=安佐北区=は、往時を懐かしんだ。そして、被爆地の記憶が語り継がれることを願った。(石川昌義、新田葉子)

 「わしじゃ。わしです」。子ども同士はしゃぐ姿に、宏夫さんは目尻を下げた。袋町小の制服姿。背景には石造りの三井銀行広島支店(現広島アンデルセン)が映る。自宅兼店舗の物干し場での一場面だ。

 当時の商売は順調で、信一さんは高価な8ミリカメラや映写機をいち早く手に入れた。買い物客の肩が触れ合うほどのにぎわいを見せる本通り。その活況を定点観測した。

 太平洋戦争の開戦で撮影は途絶える。広島にも空襲の危機が迫り、信一さんはフィルムを倉橋島(呉市)の親類宅に移した。そして八月六日。郊外の親類宅にいた信一さんは無事で、愛知県豊橋市の陸軍予備士官学校に在学していた宏夫さんも難を逃れた。

 焦土の広島。父子は撮影機材を再び手にした。見慣れた街は消え、焼け残った鉄製の風呂釜だけが自宅の名残を伝えていた。継母キヌコさん(当時三十八歳)や従業員が直爆を受け、命を絶たれた場所だ。がれきを掘り返す父に、学生帽を被った息子はそっとカメラを向けた。

 家族と街の記憶を焼き付けたフィルム。宏夫さんは言う。「昔のありのままの広島を感じてもらえれば、撮影したおやじも喜ぶはず」。フィルムをいとおしげに見つめた。

【写真説明】<左>フィルムに残った、焦土に立つ宏夫さん(1946年1月頃)<右>父が撮影した8ミリを手に、戦前の本通りの活況や焦土を歩いた記憶を振り返る宏夫さん(撮影・今田豊)


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