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被爆翌年に友思う手記集 県立広島一中生ら「新生日本」誓う '08/7/27

 広島で被爆翌年の一九四六年八月に発行された手記集「泉―みたまの前に捧ぐる」を、県立広島一中(現国泰寺高)三年の時に被爆した作家の中山士朗さん(77)=別府市=が、広島市の原爆資料館の求めに応じて寄贈した。「泉」は広島初の被爆体験記集でありながら、資料館にも実物はなかった。(編集委員・西本雅実)

 ガリ版刷りB5判、六十三ページ(目次と「序」を含めると六十七ページ)。一中と県立第一高女(現皆実高)の生徒ら三十九人が、原爆の犠牲となった一中三十五学級(三年五組)の生徒を追悼して寄稿している。西区にあった広島航空に動員されていた三十五学級は四五年八月六日、中区小網町の建物疎開作業に出た約四十人全員が死去した。

 一中生徒らは、「逝きし友」の思い出や、「うめき声の渦巻く中で誰が朗々と軍人勅諭を…」と最期の様子をつづり、犠牲者に「新生日本の建設」を誓う。同じ工場で働いていた県女三年生らは、「御楯(みたて)隊」と呼んでいた三十五学級の学徒らの働きぶりと死を哀悼している。

 被爆体験をテーマにした「原爆亭折ふし」で日本エッセイスト・クラブ賞も受けた中山さんは、「戦時下や被爆直後の赤裸々な思いがどの文書にも表れている。ヒロシマの資料として残してほしい」と資料館に託した。

 三十五学級に在籍し、編さんに当たった西区在住の浜田平太郎さん(78)は「六日は動員を休み生き残った級友らと原稿を集め、約百部は作り配った。原爆の出版物への米軍の検閲は意識していなかった」と話している。

【写真説明】広島初の被爆手記集「泉」。ムラサキツユクサは広島一中の校旗の色の紫にちなみ描いた


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