中国新聞オンライン
中国新聞 購読・試読のお申し込み
サイト内検索
核兵器廃絶、多数派の声 被爆63年式典 '08/8/7

 米国による原爆投下から六十三年を迎えた六日、広島市中区の平和記念公園で原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)が営まれ、昨年より五千人多い四万五千人(市発表)が参列した。秋葉忠利市長は平和宣言で、核兵器廃絶を求める声は世界で多数派だとして「必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力」と強調した。(黒神洋志)

 早朝から日差しを薄雲がさえぎる。時折風も吹くなか、式典は午前八時に始まった。秋葉市長と遺族代表二人が、この一年に亡くなったか死亡が確認された五千三百二人の名前を記した二冊の原爆死没者名簿を原爆慰霊碑に納めた。名簿は計九十三冊、計二十五万八千三百十人となった。

 あの日と同じ八時十五分。遺族代表の西寿実さん(47)=西区=とこども代表の川内小六年倉西桃子さん(11)=安佐南区=が「平和の鐘」をつくと参列者は起立し、一分間の黙とうをささげた。

 秋葉市長は平和宣言の中で、「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」とする言葉を「真理」と呼んだ。市が新たに進める原爆の精神的影響などの科学的調査も、それを裏付けるとした。

 さらに米国の核政策の中心を担ってきた指導者さえ核兵器廃絶を支持しているとの認識を示し、十一月に迫った米大統領選で「多数派の声に耳を傾ける新大統領が誕生することを期待する」と、超大国の変化を促した。

 今年四月、二千三百六十八都市が加盟する平和市長会議が発表した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」は廃絶目標を二〇二〇年に定めている。秋葉市長は具体的な道筋は提示されたとして、議定書の国連総会採択に向けた働きかけを政府に求めた。

 続いて、こども代表の吉島東小六年本堂壮太君(12)=中区=と、幟町小六年今井穂花(ほのか)さん(11)=西区=が読み上げた「平和への誓い」。原爆の記憶や核兵器への憤りが薄れていることに危機感を示し、継承への決意を力強くアピールした。

 四十都道府県の遺族代表や過去最多の五十五カ国の大使や参事官が出席。首相としては初めての福田康夫首相は「非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていく」とあいさつ、総合的な被爆者援護を実施するとした。

 ▽平和宣言骨子

 ■原爆体験の悲劇と苦悩の中から「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理が生まれた。その真理に導かれ、米国の核政策の中枢を担ってきた指導者も核兵器のない世界の実現を訴えるに至った。

 ■人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領誕生に期待する。

 ■平和市長会議が二〇二〇年までの核兵器廃絶に至る道筋を示した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表した。今、必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力である。

 ■政府が憲法を順守し、議定書採択のため各国政府へ働き掛けるなど核兵器廃絶に向けて主導的な役割を果たすことを求める。

 ■「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者、原爆症認定について、高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求める。

 ▽平和への誓い

 昭和二十年(一九四五年)八月六日午前八時十五分。

 突然のするどい閃光(せんこう)と爆風で、数え切れない多くの尊い命が失われました。

 あの日、建物疎開や工場で働くために出かけていった子どもたちは、六十三年たった今も帰りません。「いってきます。」と出かけ、「ただいま。」と帰ってくる。原爆は、こんな当たり前の毎日を一瞬で奪いました。

 原爆は、やっと生き残った人たちも苦しめます。

 放射線の影響で突然病に倒れる人。

 あの日のことを「思い出したくない」と心を閉ざす人。

 大切な家族や友人を亡くし、「わしは、生きとってもええんじゃろうか?」と苦しむ人。

 でも、生き抜いてくれた人たちがいてくれたからこそ、私たちまで命が続いています。平和な街を築き上げてくれたからこそ、私たちの命があるのです。

 今、私たちは、生き抜いてくれた人たちに「ありがとう」と心の底から言いたいです。

 忘れてはならない原爆の記憶や、核兵器に対する怒りは、年々人々の心から薄れていると思います。しかし、人の命を奪う戦争や暴力は、遠い過去のことではありません。

 この瞬間にも、領土の取り合い、宗教の違いなどによる争いによって、小さい子どもや大人、私たちと年齢の変わらない子どもたちの命が奪われています。

 失われた命の重さを思う時、何も知らなくて平和は語れません。

 事実を知る人がいなくなれば、また同じ過ちがくり返され、戦争で傷つき、命を失った人たちの願いは、かき消されてしまいます。だから、私たちは、大きくなった時、平和な世界にできるよう、ヒロシマで起きた事実に学び、知り、考え、そして、そのことをたくさんの人に伝えていくことから始めます。

 また、私たちは、世界の人々に、平和記念式典が行われ、深い祈りの中にある広島に来てほしいと思っています。ヒロシマのこと、戦争のことを知り、平和の大切さを肌で感じてほしいのです。

 そして今こそ、平和を願う子どもたちの声に耳をかたむけてほしいのです。

 みなさん、見ていて下さい。

 私たちは、原爆や戦争の事実に学びます。

 私たちは、次の世代の人たちに、ヒロシマの心を伝えます。

 そして、世界の人々に、平和のメッセージを伝えることを誓います。

 平成二十年(二〇〇八年)八月六日

 こども代表

 広島市立幟町小学校六年 今井穂花

 広島市立吉島東小学校六年 本堂壮太

 ▽平和記念式典あいさつ 要旨

 福田康夫首相

 原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げます。今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に心よりお見舞いを申し上げます。

 幾万の尊い命と共に焦土と化した広島は、有数の大都市に発展し、国際的にも平和都市として名誉ある地位を占めています。街を復興するにとどまらず、平和の尊さを世界中に訴える努力を続けた賜(たまもの)と考えます。

 国としても、広島、長崎の悲劇を二度と繰り返してはならないと堅く決意し、戦後一貫して国際平和への途(みち)を歩んでまいりました。北海道洞爺湖サミットのG8首脳宣言では、すべての核兵器国に透明な形での核兵器削減を求めました。

 今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます。

 三月には原爆症認定の新たな方針を策定し、できる限り多くの方を認定するよう努めています。六月には、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳の取得を容易にするための改正被爆者援護法が成立しました。今後とも、苦しんでいる方を一人でも多く援護できるよう取り組みます。

 藤田雄山広島県知事

 核兵器のない恒久平和の実現は、この惨禍と、今なお続く被爆者の苦しみを忘れることのない、私たち広島県民すべての願いであります。

 しかし、国際社会に目を向けると、包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効の見通しが立たない中、北朝鮮の非核化は進まず、イランの核開発の問題も解決への糸口すら見つからない状況です。

 こうした状況の中、本県では「創(つく)り出す平和」の理念の下、広島が復興する過程で蓄積してきた人材や知識、施設などを生かして、世界の紛争終結地域での復興支援など、国際社会の平和と安定の実現に向けた努力を続けます。

 高齢化が進む国内外の被爆者の皆さまに対しましては、実情に沿った援護を受けられるよう、制度の確立に全力を尽くします。

 潘基文国連事務総長

 広島平和記念式典には、毎年恒例の儀式をはるかに越える意味があります。それは広島市民と全世界の人々が、核戦争の最初の犠牲者を追悼し、核兵器のない世界を実現するためには何が必要かを深く考える機会なのです。

 毎年、この式典への子どもたちの参加を大いに歓迎しています。子どもたちはやがて、過去の記憶を胸に刻みつつ、核兵器のない世界を目指して集団的な取り組みを続ける責任を担うからです。

 広島、長崎両市長の指導力にも謝意を表したいと思います。「平和市長会議」を通じた取り組みは、全世界で認識され、尊敬されています。核兵器が二度と使われないようにすることは、全世界の市長にとっても当然の利益となるはずです。この目標を達成する最も確かな方法が、核兵器の廃絶であるという理解も広がっています。

 皆様とともに、過去を記憶に留めながら、核兵器のない平和で安全な世界を実現するため、あらゆる人々と手を携えていく決意を確認いたします。

【写真説明】秋葉市長の平和宣言の後、空に放たれる約1000羽のハト。式典には4万5000人が参列し、原爆犠牲者の冥福を祈った=6日午前8時25分(撮影・松元潮)


MenuTopBackNextLast