中国新聞オンライン
中国新聞 購読・試読のお申し込み
サイト内検索
復興の象徴は今<3> 平和の鐘<動画あり> '09/8/1

 ▽魂の響き 復活の日待つ

 セミの声が響き、子どもたちが中央公園ファミリープール(広島市中区)に駆けていく。その姿を、木々の間からひっそりと見守る鐘楼がある。

 市青少年センター北東に立つ、高さ9メートルの鉄塔。内径1・2メートル、高さ1・4メートルのベル型の鐘が掛かる。ハトと「ノーモアヒロシマズ」の英文が刻まれている。

 「鐘があるのは知っとるが、いわれは分からん」と、公園の清掃作業員たちも首をひねる。忘れられた「平和の鐘」は1949年、広島平和記念都市建設法案が衆参両院で可決された記念に、地元の鋳物業者たちが制作した。同年8月6日に現在の市中央公園で開かれた第3回平和祭で、その音を響かせた。

 しかし、慰霊の場はその後、平和記念公園(中区)に移り、鐘が鳴ることはなくなった。旧広島市民球場の跡地利用計画に絡み、今その行く末は揺れている。市都心再開発部は「広場にする予定のエリア。場合によっては移設を考えることになる」と説明する。

 鐘の制作の中心になった鋳物業の故松村米吉さん(93年死去)の妹石田智子さん(80)=安佐北区=は「60年前の鐘の音は、高く短く鳴り響いた。兄たちの平和への情熱がこもっていた」。忘れられた鐘が再び使われる日を待ち望む。(写真・高橋洋史、文・新田葉子)

 <メモ>平和記念式典などの慰霊祭で「平和の鐘」が鳴らされるのは、前身の1947年8月の「平和祭」から慣習となっている。地元の業者が集まった「広島銅合金鋳造会」が制作した鐘は、市中央公園で開催された49年に一度だけ使われた。被爆した金属を回収し、造られた。

 動画はこちら

【写真説明】<上>木々に囲まれて立つ鐘楼。「平和の鐘」の表面は色あせたが、ハトや文字にこめられた思いは60年変わらず平和を訴えている。左は市青少年センター(魚眼レンズ使用) <下>「平和の鐘」(右手前)が鳴らされた第3回平和祭。現在の市中央公園が会場となった(1949年8月6日)


MenuTopBackNextLast