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猛火広島見渡す限り 原爆さく裂1時間後の3枚組み写真 '07/8/4

 一九四五年八月六日の炎上する広島市を撮った三枚の組み写真が、完全な形で現存していた。撮影者は陸軍船舶練習部に所属していた木村権一さん(七三年に六十八歳で死去)。原爆資料館の資料調査研究会が検証し、爆心地から三・九キロ、戦後にマツダ宇品西工場となり現存する倉庫三階屋上の西端から撮っていたことが明らかになった。

 組み写真は、原爆さく裂の約一時間後の撮影。街ごとのみ込んだ猛火の煙が、右端の比治山(南区)から左端の鈴ケ峰(西区)の上空に迫る様子も鮮明に収めている。

 木村さんは戦前に中国新聞カメラマンから陸軍運輸部写真班に転じた。宇品町(現南区宇品東五丁目)の練習部で被爆した直後の撮影について、「広島原爆戦災誌第五巻」(市が七一年刊)に次の証言を寄せている。

 「三階屋上まで鉄はしごを登り、市中を望見すると、おおいかぶさった灰色のなかに、七カ所ぐらいのところから、火災が立っていた。そのうちに全市に拡(ひろ)がっていき(略)」

 連続して撮った二枚をつないだ左端からほぼ四分の三部分は、「広島原爆戦災誌第一巻」のグラビアに掲載。その後も手前の建物がトリミングされた複写が紹介されていた。しかし、右端の比治山や下の人影が写る部分はなかった。佐伯区に住む木村さんの三男(55)が遺品から三枚組みの六六判フィルムのネガを見つけ、資料館に寄せた。

 木村さんが残したネガや証言を基に、資料調査研究会メンバーの井手三千男さんが昨年六十五歳で急逝する前に、撮影地点を計測するなどしていた。火災に包まれた市街地は、ほかに北側の安佐郡古市町(現安佐南区)の神田橋から撮られた一枚がある。(編集委員・西本雅実)

【写真説明】原爆さく裂約1時間後の炎上する広島市。木村さんが撮ったネガフィルム3枚をつないだ


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