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「いまだ不明の父無念だったろう」「子ども守る気持ち語り継いで」 '07/8/7

 ◆「嵐の中の母子像」供養式(中区中島町)

 市地域女性団体連絡協議会などの約90人が、折り鶴約3000羽を手向け「原爆を許すまじ」を歌った。副会長の桑原悦子さん(67)=中区=は「わが身を捨てて子どもを守る母の尊さや大切な人を守っていく気持ちを、子や孫の世代に語り継いでいかなければならない」と力を込めた。

 ◆県被団協(坪井直理事長)原爆死没者追悼慰霊式典(中区基町)

 日本被団協代表や与野党の国会議員も含めてメルパルク広島に約200人が集い、原爆症認定の拡大など被爆者援護の充実を誓い合った。参列した西岡妙子さん(67)=北広島町=は住んでいた南区青崎の学校に遺体が運び込まれるのを遠巻きに見た。「とにかく怖かった。原爆の恐怖を若者たちにしっかり伝え、平和を訴える力に変えていかなければ」と強調していた。

 ◆国土交通省(旧内務省)原爆殉職者慰霊式(平和記念公園)

 慰霊碑前に遺族や中国地方整備局職員ら約80人が集まった。会社員高柳綾男さん(68)=岡山市=は旧内務省職員だった父が行方不明で遺骨も分からないまま。「無念だっただろう。参列するたび、礼儀作法に厳しかった父を思い出す」と献花した。

 ◆国鉄原爆死没者慰霊式典(中区東白島町)

 東白島公園にある慰霊碑の前で、遺族や旧国鉄職員ら約120人が参列。鶴田典子さん(79)=中区=の妹は広島女学院から宇品駅に動員され、被爆時は学校に戻っていた。「いってらっしゃいと見送ったまま帰ってこなかった妹のことを、この日がくると思い出す」

 ◆県動員学徒等犠牲者の会追悼式(平和記念公園)

 先輩が犠牲となった高校生や遺族ら約400人が参列。舟入高3年谷本隆介さん(17)は「核被害を受ける都市が二度と出ないよう被爆地の高校生の自覚を持って行動する」と決意を述べた。今年、学徒らの体験集を県内の公立小、中、高校に贈った同会の土井通哉理事長(74)=安佐南区=は「若いパワーでノーモアヒロシマの心を発信しよう」と呼び掛けた。

 ◆原爆死没者慰霊行事(平和記念公園)

 原爆供養塔前であり、遺族ら約150人が参列した。被爆者の妻(79)の母の行方が原爆で分からなくなった横溝洋三さん(76)=栃木県足利市=は6年前から参列する。妻はつらい記憶のある広島に来たがらないが、「遺骨は塔に眠っているはず。供養してきてくれた地元の人に感謝したい」。

 ◆広島市医師会原爆殉職会員並びに医療従事者追悼式(中区小町)

 殉職碑前に遺族など約100人が集い、祈りをささげた。軍医だった父を亡くした熊野圭子さん(74)=南区=は当時12歳で尾道市にいた。「父は、必ず生きて帰るからいい子で待っていなさいと言い残し、広島に行った。その言葉が、頭から離れません」

 ◆広島大原爆死没者追悼式(中区東千田町)

 遺族や大学関係者ら約100人が参列。新たに63人を死没者名簿に加えた。前身の一つ、広島女子高等師範学校4年で被爆した小野文子さん(77)=安佐北区=は「多くの友人が校舎の下敷きとなって火に焼かれた。少しでも水を飲ませてやりたい」と声を詰まらせた。

 ◆原爆犠牲新聞労働者「不戦の碑」碑前祭(中区加古町)

 遺族や中国新聞OB、報道関係者ら約70人が参列した。沖縄タイムス労組から派遣された記者の天久仁さん(35)=沖縄県浦添市=は「平和報道を守り続けていくために、被爆地・広島で多くのことを学びたい」と心に誓っていた。

【写真説明】原爆ドームそばの慰霊碑前で、国土交通省の原爆殉職者に献花する遺族ら


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