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8・6ドキュメント 巨大折り鶴/キャンドル3000個輝く '07/8/7

 祈りや鎮魂、核兵器廃絶に向けたメッセージ発信…。広島市中区の平和記念公園と周辺で六日、さまざまな慰霊の集いが営まれた。被爆から六十二年。被爆者や遺族は口を開いてつらい体験を明かし、若い世代は思い思いに「8・6」を感じ取って、平和な未来をつくることを誓い合った。

 0・00 原爆ドーム前。大阪府高槻市の無職横見靖夫さん(76)が若者らを前に「二男は行方不明。家の下敷きになった三男も救えなかった。いまだに悪夢がよみがえる」。目に涙が交じる。

 0・10 中区の自営業田中修一郎さん(45)は公開中の映画「夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国」に胸打たれ、長男(13)と原爆慰霊碑を訪問。「ゆっくりと公園を歩き、平和への思いを新たにしたい」

 2・10 福岡市の元作画監督、山本哲哉さん(56)が長崎市を目指し、駆け足で元安橋を出発。「前防衛相の『しょうがない』発言は許せない。マラソンは無言の抗議だ」

 2・40 慰霊碑から静寂を破るベルが鳴り響く。警備員は「野良猫が碑の中に入った」。

 3・00 参列者用のいすに約三時間座る京都市の大学三年生入江紫さん(20)。「同じ日本人として広島と共鳴したくて」

 4・30 小学二年の娘の手を引き、慰霊碑を訪れた中区の主婦塩津紀代美さん(42)。「娘は登校日。祈る人たちに接すれば、平和学習の理解も深まると思った」

 4・40 安芸南高の放送部員五人がデジタルビデオを手に慰霊碑周辺で取材。部長の三戸風香さん(16)は「こんなに朝早く来たのは初めて。昼間は暑く参拝しづらい高齢者もいると分かった」。

 6・10 大粒の雨が降り始める。「原告の涙」と西区の主婦西妙子さん(66)。昨春、七十四歳で亡くなった夫は原爆症認定訴訟の原告だった。「残る原告も高齢化が進む。時間は限られている」。遺影を手に、国に認定基準の見直しを求める。

 7・15 安芸区の原広司さん(75)が、原爆ドームの水彩画を描く。一日に二千枚目を達成したばかりだ。「生き残った責務として、これからも描き続ける」と、二千一枚目を完成させた。

 8・15 ドームを望む対岸で、平和コンサートに出演する「ゴダイゴ」のタケカワユキヒデさん(54)が黙とう。「国家や民族の争いは絶えず、広島の役割はますます大きくなる」

 8・45 爆心直下の島外科で頭上を見上げる岩国市の会社員藤田克幸さん(39)。「娘が三人いる。あの日、ここにいたらと思うと…」

 8・50 ドームの周りに佐伯区の声楽家渡辺朝香さん(53)の歌声。「被爆者の痛みは世界の痛み。その思いを歌い上げた」

 9・30 原爆の子の像前に幅約三メートル、高さ約二メートルの巨大折り鶴がお目見え。子どもたちがメッセージを書き始める。

 10・10 原爆資料館近くのおしぼりサービスが終了。例年なら一万枚を使い切るが、三千枚が余った。

 12・30 西区出身の短大生御手洗志帆さん(19)=東京都=は資料館の対話ノートに「世界が平和でありますように―」と記帳。「『平和』という言葉の重みが分かってきた」

 13・00 原爆の子の像近くで、米国人大学院生のエミコ・ソルティスさん(23)のバイオリン演奏に拍手。母が日本人、父が米国人。「私の家族にとって被爆地広島は特別な場所」

 14・40 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で、兄の遺影を二年前に登録した南区の無職宮本敦子さん(73)は「ここに来ると、優しかった兄を思い出す」。

 16・25 英国人のフィオーナ・マクレナンさん(50)一家三人が、平和大通り緑地帯の「平和の門」へ。平和を意味する世界四十九の言語の中から「peace」を見つけ、「美しいモニュメントだね」。

 19・20 約三千個のキャンドルがドームを幻想的に包む。「戦争がない世界になってほしい」。西区の小学六年横山ちひろさん(12)は両親と一緒に手を合わせた。揺らめく炎に、平和を祈る人波が浮かんだ。

【写真説明】<上>原爆ドームを囲むピースキャンドルに手を合わせる子ども。祈りの夜は続く(午後7時20分)<下>雨の中、原爆慰霊碑に祈りをささげる人たち(午前6時35分)


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