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被爆「義勇隊」紙芝居で継承 広島の木村さん '08/7/20

 建物疎開に動員され、百五十七人が原爆で全滅した「草津南町国民義勇隊」の悲劇を語り継ごうと、広島市西区草津浜町の元漁業、木村秀男さん(75)が紙芝居を創作した。自らは同じ地域へ動員される予定だったが、助かった。六十三年の歳月を経ても忘れえぬ記憶をたどり、住民の証言を集めて描き上げた。二十四日、地元の草津公民館で初めて披露する。

 江戸時代から漁業で栄えた港町から動員された義勇隊百五十七人は、爆心から約九百メートルの小網町(中区)で被爆。地元の漁師が船で負傷者を救出したが、全員が亡くなった。

 「全身をやけどした人で港があふれた。変わり果てた親を見て泣き叫ぶ子どもの姿が目に焼き付いとる」。草津国民学校高等科の一年だった木村さんも学校からの動員で向かうはずだったが出発が遅れ、約一・五キロの西観音町(西区)で被爆。首と両腕にやけどを負い、左目を失明。逃げ帰った自宅近くの港で惨状を目撃した。

 九年前、「生きているうちに被爆の記憶を描き残そう」と絵筆を初めて持ち、約百枚の絵を描いてきた。紙芝居は、先輩漁師の証言や犠牲者の遺族を訪ねて聞いたエピソードを生かした。

 紙芝居は義勇隊に加わった母親と息子の心のきずなを描く。母は命懸けで自宅に戻るが、わが子がやけどを怖がり、抱きしめることができない。消えていく命の火。母の最期を悟った子が手を握り、情を通わせるまでを八枚の絵で現す。

 地域には一九八一年に建立された慰霊碑がある。しかし、その後は慰霊行事もなく訪れる人も減っている。「このまま埋もれさせたらいけん」。危機感が木村さんを動かした。朗読の練習に励む日々。「義勇隊の悲劇と平和の尊さを思う人が一人でも増えれば」と願う。八月六日には西区の井口明神小でも紙芝居を広げる。(水川恭輔)

 ●クリック 国民義勇隊

 1945年6月に公布された国民義勇兵役法で地域、職域単位で全国で編成された。15―60歳の男性、17―40歳の女性が対象で、建物疎開や警防活動などに従事。原爆投下当日は広島市内や大竹市などから多数の義勇隊が動員され、被爆死した。

【写真説明】完成した紙芝居を使い、被爆した義勇隊が漁船で戻ってきた様子を語る木村さん(撮影・坂田一浩)


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