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再編越え被爆死悼む 三菱UFJ広島支店に名刻む新銘板 '08/8/5

 ▽慰霊碑なかった旧三和銀行員に光

 広島市中区本通の三菱東京UFJ銀行広島支店に四日、慰霊碑すらなかった前身行の一つ、旧三和銀行の原爆犠牲者の名前を新たに刻む銘板が設置された。支店内には旧三菱銀行の犠牲者の銘板があったが、行員が「両方の先輩を大切にしたい」と奔走。両行の死没者の名を並べた。伝統ある行名が相次いで消えた金融再編。荒波を乗り越えた銀行マンの心に平和への誓いは引き継がれている。

 新たな銘板は支店二階の職員食堂にある。銅製で縦三十五センチ、横五十センチ。爆心地から約三百メートルで被爆死した三菱銀広島支店の二十二人、そして市内に三支店があった三和銀の死没行員のうち、名前が判明している二十四人が並ぶ。

 現在の副支店長の加藤龍雄さん(43)は一年半前に着任し、三和銀でも多くの犠牲者が出たことを知った。上司から新銘板を設置する提案があった。「今は一つの銀行。三和銀の死没者にも光を当てたい」と仕事以外の時間も使って準備した。

 被爆当時の三和銀の人事情報は会社に残っていない。三和銀OB会広島支部長の平林庸生(つねお)さん(75)=廿日市市=に依頼、二十四人の死没者名簿の提供を受けた。三和の行員だった平林さんの父鉚一(りゅういち)さん=当時(42)=は爆心地から約二百メートルの広島支店で被爆死した。

 銘板に刻まれた父の名。この日、支店を訪れた平林さんは「新たな銘板の申し出があった時は本当にうれしかった。ともに供養してくれる人がこれからもいる。心から感謝したい」と感慨に浸った。

 加藤さんも「これからこの場所で働く人に、多くの行員が原爆で犠牲になったことを覚えていてほしい」と願っていた。

 三菱東京UFJ銀行は、旧三和銀と旧東海銀が一つになったUFJ銀と、旧三菱銀と旧東京銀を前身とする旧東京三菱銀が、さらに二〇〇六年に合併して誕生した。広島の支店網も統合された。(明知隼二)

【写真説明】被爆63年を経て刻まれた死没行員の銘板を前に、父の死の記憶を語る平林さん(左)と、耳を傾ける加藤さん(中)(撮影・今田豊)


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