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8・5のパリジェンヌ 原爆供養塔清掃13年 '08/8/6

 また、オディール・ルオーさん(73)がパリからやって来た。毎年、八月五日に平和記念公園(広島市中区)を訪れ、原爆供養塔の周りをきれいにしている。今夏で十三年目を迎えた。

 「人の少ない朝、好きです」。午前五時前、公園近くの旅館から本川橋を渡る。白髪は短い。白いTシャツと、あい染めした作務衣(さむえ)のズボン。曹洞宗の法名「聖(せい)和(わ)」を持つパリジェンヌは、頭にタオルを巻き、草を抜き始めた。

 一九九五年に旅行で広島を巡り、供養塔前で女性の被爆者に会った。「日本語はあまり分かりませんでしたが、一緒に涙、流しました」。フランスが核実験を繰り返した年でもある。「ごめんなさい、と思いました」

 翌年、供養塔の周りの清掃を始めた。「痛い痛い。お水お水」。ここに立つと、原爆の犠牲になった子どもたちの叫びが聞こえてくる。「六十三年前、私、十歳でした」。そう思うと胸が痛い。

 十年前の来日。国内をできるだけ歩いてバス代を節約した。三週間で五千円。平和記念公園のベンチを新しくする寄付の呼び掛けに応じた。園内の広島国際会議場の南側にあるベンチ。寄付者が刻まれたプレートに「Odile Ruault」の名前もある。

 毎夏、六日は喪服で平和記念式典に参列する。いずれ死んでも、骨として広島に戻って来るつもりだ。娘に頼んである。

 別れ際、「ヒロシマには悲しい響きがありますか」と尋ねた。

 「ノン。ヒロシマは希望」(武内宏介)

【写真説明】平和記念式典前日の供養塔前。ルオーさんは手袋をはめ、清掃を始めた


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