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63年ぶりに訪ねた広島 鹿児島の笹川さん、知人と再会 '08/8/7

 広島市段原地区(南区)の自宅で被爆、今は鹿児島県・種子島に住む笹川和彦さん(66)が六日、中区の平和記念公園で、当時家族ぐるみで親交があった玉野啓子さん(74)=安佐北区=と六十三年ぶりに再会した。三歳だった笹川さんは、断片的な被爆の記憶にあらためて向き合い、平和への思いを新たにした。

 二人は戦前、同じ地区に暮らし、親がともに広島陸軍兵器補給廠(しょう)で働いていた関係で親しくなった。被爆後の混乱で再会できず、笹川さんは一九四五年末に家族で種子島へ帰郷。以来、広島を訪れていなかった。

 交流が復活したのは十六年前。笹川さんの母イズエさんがその年の鹿児島県の遺族代表として平和記念式典に参列。新聞で知った玉野さんから連絡があった。イズエさんは昨年末に九十六歳で亡くなり、今回は四男の笹川さんが妻孝子さん(64)とともに遺族代表として式典に出席した。

 「あの防空壕(ごう)はどうなっていますか」。笹川さんは一番気になっていた場所を尋ねた。首を振る玉野さん。段原は再開発で街並みが一変。家族七人で逃げ込み、多くの遺体を目撃した場所は特定できなかった。

 今は市道が通る自宅跡の近く。玉野さんから二つの家族が仲良く食卓を囲んだ様子を聞き、笹川さんは何度もうなずいた。記憶のすき間は埋められなかったが、ささやかな暮らしが断ち切られたことは実感できたからだ。

 念願の広島訪問を終えた笹川さんは「被爆体験は鮮烈に心に残っていたが、それだけが原爆の悲惨さではなかった」。六十三年を経て刻んだ自身の「原点」。島へ大切に持ち帰るつもりだ。(藤村潤平)

【写真説明】平和記念公園で玉野さん(手前右)と63年ぶりの再会を喜ぶ笹川さん(同左)


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