第2部 あの日を刻む 4

デジタル
DB構築 「記憶」継承へ


 「あの日」を正確に伝え広めるには、被爆者の証言をつぶさに保存し、データとしてみんなが共有する必要がある―。原爆資料館(広島市中区)啓発担当の松木克之主事(37)は、市都市整備局から赴任してきて三年目の今春、この思いが一気に強まった。
 資料館は八月一日、七万点近い収蔵品をインターネットで検索できる「平和データベース(DB)」を更新する。東館と西館に並ぶ資料は、全体の1%にも満たない約四百五十点。ネット上へと展示スペースを広げることで、被爆資料への関心を促す狙いがある。
 遺品の衣服やセルロイド製の定期入れ、手紙など、劣化が進む資料をデジタル画像で鮮明に保存しておく意図もある。

データベースの更新作業を急ぐ松木さん奄スち原爆資料館の職員(撮影・藤井康正)
 270人分の肉声

 パソコンに詳しい松木さんは、二百七十人分の被爆体験が肉声で収まる証言ビデオ全九十巻の動画処理を一人で担当した。死んだ娘を自ら焼いた過去を明かす女性がいる。淡々とした口ぶりが悲しく、胸を打つ。

 編集に先立って春先、収録した全員に掲載確認の手紙を送った。返事があって公開できるのは二百人余り。ほかは連絡が付かず、一部は配達不能で戻って来た。記憶を語る被爆者が少なくなった被爆五十九年の現実。「ひたすら焦りを感じた」
 資料館はデータベースの更新にあたり、平和学習でアクセスしやすいようにと、事前の身分証明の手続きや閲覧の際のパスワード入力を省く。世界中のどこからでも画面越しに、ほぼすべての資料が容易に閲覧できる。
 一方、資料館の二〇〇三年度の入館者数は前年度比3・3%減の百十万二千六百六十二人。「公開が過ぎると、来館の足を遠ざけはしまいか」と危ぐする声もある。
 外和田孝章副館長(51)は「確かに心配はある。が、資料はただあればいいというものではない。どう継承していくかを重視したい」と説明する。

 「現実を残す」

 「記憶や思いはやがて風化する。だが、写真や文献は、時を超えて現実を残すことができる」。南区の広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)。川野徳幸助手(38)はパソコンの画面をじっと見詰め、思いを口にした。
 広島大が今年六月に開設した「原爆・被ばく資料データベース」は、原爆や平和をテーマにした新聞記事、米陸軍病理学研究所(AFPI)の返還写真など約三万九千点を収録し、研究者や被爆者たちに公開している。人文社会学などの視点を加えることで、物理学や医学で語られがちだった被爆の実態を解きほぐすのが狙いだ。
 「被爆者がいない社会がやがて訪れる。その時までに『あの日』に何が起きたのか、事実として次の世代に伝えておく必要がある」と川野助手。データベースの構築は、風化にあらがい、被爆地の記憶を記録していく営みだ。




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2004/7/25