第2部 あの日を刻む 7

絵を描く
込めた思い 次代に継ぐ


 鮮血のようにおどろおどろしい炎が空を染め、今にも峠をのみ込もうとする。あの日の夜、爆心地から約三・五キロ東、広島市愛宕町(現東区)から北へ抜ける大内越(おおちご)峠。西区の平井久仁子さん(68)は、心に深く刻まれたこの光景を後日、切り絵にした。

「原爆の絵」を描いた平井さん(左から3人目)から、込められた思いを聞く高校生たち(撮影・荒木肇)
 高校生の訪問

 二十五日、広島城北高(東区)一年の石田一裕君(16)たち三人が平井さんの自宅を訪ねてきた。「絵に込めた思い、当時の記憶を聞かせてください」。少し震えた口調で、質問を切り出した。
 「越えて来た峠を振り返ると、真っ赤な空が襲い掛かって来るようで。赤い色はね、私には怖いんですよ…」。父、兄、姉の三人の消息が絶えた九歳の夜。はきはきした平井さんの声は、感情が高ぶるとわずかにかすれた。
 切り絵は全部で六枚。乳飲み子を抱いたまま息を引き取った女性がいる。そんな見たままの絵もあれば、死んだ馬を哀れんでハスを描き足して手向けた絵もある。
 高校生三人はただ静かに聞いた。生々しい証言に圧倒され、言葉に詰まった。「聞かされるままだった。思うように質問できなかった」。玄関を出てもまだ悔やんだ。
 平井さんは「途中でしり込みするかと思っていた。最後まで聞いてくれてうれしい」。何度も頭を下げて見送った。
 平井さんの絵は一九七四、七五年、NHKが全国の被爆者に呼び掛け、約七百五十人から二千二百点余りが寄せられた「原爆の絵」だ。
 作者を訪ねる取り組みは、原爆資料館資料調査研究会メンバーの直野章子さん(32)=兵庫県西宮市=が二〇〇一年に一人で始めた。原爆に奪われた祖父がいる。戦後生まれの自分は知らない。祖父の犠牲に少しでも近づこうと始めたのが、作者からの聞き取りだった。
 所在が明らかな作者は今、約百七十人。聞き取りを終えたのは五十人にとどまる。焦りも覚える直野さんにとって、取り組みを知った市内の高校生たちが輪に加わってくれたのが心強い。
 「あの日をそのまま描いたつもりじゃったけど、私のは幼稚園児が描いたようで訴える力がない」。安佐南区の寺前妙子さん(75)も作者の一人だ。今年六月から、今度は広島市立大(安佐南区)の学生たちと共同作業で、新たな「原爆の絵」づくりを始めた。
 寺前さんは爆心地からわずか五百四十メートルの下中町(現中区)にあった広島中央電話局で被爆した。今度はその記憶を、経験のない学生たちが聞き出し、描き起こす。

 世代超す対話

 「ありもしない光景が浮かび上がりはしないか」。企画した資料館啓発担当の榎野浜子さん(43)の不安はすぐに、取り越し苦労に変わった。「真剣な対話の中で、時折笑顔がこぼれる。被爆の記憶をとどめる共同作業を通じて、世代を超えた語らいが芽生えている」。絵の出来栄えより、今はそれが大切だと思っている。




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2004/7/28