第2部 あの日を刻む 9

聖地を変える
平和発信へ開放願う声


 一九五一年十一月、広島市内で建築家イサム・ノグチ氏を囲む座談会があった。東京大助教授だった丹下健三氏(90)はこの時、自らが設計した平和記念公園(中区)のコンセプトをこう説明した。
 「ヒューマン・リレーションズのコア」。人々が結びつく拠点であれ―。
 それから半世紀。公園は、自由な場所ではなくなった。故山田節男市長が六七年に「聖域化構想」を唱え、敷地内での露店や集会、デモなどを禁じた。憩いの場だった芝生広場への立ち入りは年一回、平和記念式典がある八月六日だけ。
 「世界に知られる平和の空間。なのに窮屈。そのうち誰も寄り付かなくなる」。今月七日、広島修道大(安佐南区)国際政治学科一年の丸山あゆみさん(18)は、平和記念公園について考えた授業で思いを声に出した。

芝生を囲むさくに腰掛ける観光客。平和記念公園の規制の見直しを求める声は多い(撮影者・荒木肇)
 規制多く驚き

 二十四時間監視カメラが作動し、平和を訴える人文字づくりも「集会に当たる」として認められない…。事前に読んだ新聞記事で丸山さんは、規制の多さに驚いた。「本当に平和を発信する場なのかな…」。授業後も数人の仲間と集まり、意見交換を続けた。
 広島平和文化センター(中区)の斉藤忠臣理事長(61)は「平和公園は世界に二つとない平和のテーマパーク」と位置付ける。「不特定多数の人が平和を願い、憩う場であるべきだ」と断じる。
 慰霊だけでなく、平和を感じる雰囲気に。市民の間に、そんな機運が高まりつつある。広島商工会議所は都心のにぎわいづくりの一案として、芝生広場を客席にした慰霊コンサートのイラストを描いた。
 広島青年会議所は公園内で、音楽を通じて若者に平和をアピールする活動を模索している。野村慶太郎副理事長(36)は言う。「平和の受け止め方はそれぞれ。慰霊の趣旨を外さず、活用に道を開くルール作りはできるはずだ」

 共感を広げる

 市は市条例と内規に基づいて管理する。「市民意見をむげにできないが、今はまだ、機が熟していない」。緑化推進部の渡田春男部長(55)はジレンマに悩む。
 日本被団協代表委員の坪井直さん(79)も規制の見直しを望む。きっかけは二〇〇一年九月の米中枢同時テロだった。高層ビルが一瞬で崩壊する光景に「被爆者が平和を希求するだけでは足りない」とたじろいだ。人種や国籍を超えて共感を広げる何かを被爆地から発信できないかと考え始めた。
 くしくも市は来年の被爆六十周年記念事業の基本計画に、国内外のアーティストによる「広島平和コンサート」を盛り込んだ。開催地は未定という。「音楽は心に響く。ぜひ公園で。被爆者だけでなく、みんなで平和を考えることにつながる」と坪井さん。心と心が結び付く本来の「聖地」に近づくようにと願う。




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2004/8/01