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被爆前の広島など600点 袋町小元児童の絵や書を発見 '07/7/20

 日中戦争が始まった翌年の一九三八年、袋町尋常高等小学校(広島市中区、現袋町小)の児童たちが描いた図画や書道作品など約六百点をつづった記念帳が東京で見つかった。七年後に原爆で焼失した「奉安殿」を中心に子どもたちの無邪気な学校生活が描かれ、被爆前の軍都広島の教育現場の雰囲気を伝える貴重な史料。関係者有志による調査と整理が終われば、袋町小に寄贈される。

 同校出身で、東京都杉並区の土井美智子さん(71)たちが保管していた。三八年三月、教育勅語などを納めた奉安殿を学校敷地内に寄贈した土井さんの祖父の故山内佐市氏に、お礼のため贈られた品という。十九日、袋町小を訪れ、寄贈の打ち合わせをした。

 表紙には「御真影奉安所落成記念帖(ちょう)」と書かれ、縦二四センチ、横三三・五センチの厚紙でひもとじされている。奉安殿を描く水彩画やクレヨン画、「ホウアンショ」「落成を祝す」などの書道作品、寄せ書きがあり、千三百人以上の児童の名前があった。

 縄跳びで遊ぶ児童や学校そばの広島中央電話局(当時)を背景に描いた図画もあり、原爆で失われた子どもの日常の一端が読み取れる。当時、一年生だった日本サッカー協会最高顧問の長沼健さん(76)の絵もあった。

 爆心地から約四百六十メートルにあった学校の資料は焼失した。市公文書館の高野和彦館長は「戦中の教育がうかがえる貴重な記録。これほどまとまった数で保存されているのは珍しい」と驚く。

 記念帳は二〇〇五年春、土井さんが譲り受け、同級生の中電工会長加藤義明さん(71)らと相談し、整理と分析を始めた。母校に寄贈するのを前に、中国新聞社と協力して作品を描いた本人や遺族、ゆかりの人に見てもらうことにした。

 当時の低学年は被爆時は旧制中学校や高等女学校に進み、建物疎開作業の現場や動員先で被爆死した人も少なくないとみられる。被爆を逃れ、生存していれば七十六―八十二歳。土井さんらは「戦中に子どもたちが置かれていた状況がにじみ出ている。心当たりがある方に、ぜひ見てもらいたい」と願っている。

 内容を撮影した写真は二十五日から、中区土橋町の中国新聞社読者広報センターで公開する。八月十七日までで、平日午前九時半―午後六時。問い合わせは報道部Tel082(236)2323。 ≪袋町尋常高等小学校≫

 商店街などでにぎわう市街地にあり、広島市内でも数少ないコンクリート造りだった。1941年の国民学校令で袋町国民学校に名称変更。広島原爆戦災誌や校史などによると、被爆直前の45年春の在籍者数は教員も含め約900人。その後、大半が疎開、被爆当時、校舎にいた約160人はほぼ全滅した。被爆校舎の一部を改修した「袋町小平和資料館」には教員や児童の家族たちが安否確認に使った「伝言の壁」が現存する。

【写真説明】<上>記念帳の中にあった、奉安殿(中央)の前で縄跳びを楽しむ女子児童の絵。子どもたちの日常生活がうかがえる<下>1300人を超す子どもたちの日中戦争中の記憶が詰まった記念帳


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