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「きれい」出身者ら驚き 被爆前に制作された袋町小の絵や書 '07/7/20

 六十九年前、袋町尋常高等小学校(現袋町小、広島市中区)の子どもたちが描いた絵や書をつづった記念帳が見つかった。十九日、整理を進める出身者やゆかりの人が母校に集い、「こんなにきれいな形で残っているとは」と記憶をたどった。

 この日は当時、子どもたちが絵などを贈った故山内佐市氏の孫にあたる土井美智子さん(71)=東京都=や、整理にあたっている中電工会長の加藤義明さん(71)らが記念帳を携えて袋町小に足を運んだ。当時、四年生だった田中大学さん(79)=南区=も駆け付けた。

 宮原真治校長とともに分厚い帳面をめくり、被爆前の学校の姿を語り合った。「この中で今も生きているのは…」。田中さんは、寄せ書きの中に自分の名前を見つけ、記憶をたどった。

 「祝落成」の文字の周囲に約五十人の同級生が名前を記す。一人、二人と指を折り始めると四人で止まった。「記憶がはっきりしない人もいるし、まだいるかもしれないが…。後は、原爆の犠牲になったんでしょう」

 田中さんは卒業後、広島二中(現観音高)に進み、三菱重工広島機械製作所へ学徒動員されていた。八月六日は休みで実家にいて無事だった。母校が気になり、その十日後ぐらいに訪ねた。校舎の一部を残して、焼け野原となっていたという。

 「(絵や書が)学校に保管されていたらこうして見ることもなかった。小学校の歴史の貴重な一ページ」。兄と姉を原爆で亡くした田中さんは、しみじみと語った。

 加藤さんは、土井さんから記念帳を預かり、多忙な仕事の傍ら膨大なつづりを一枚一枚撮影し、出てくる名前のリストをこつこつと作っている。「遺族も含めて、できるだけ多くの人に見てもらいたい」という熱意からだ。二十五日からは中国新聞社で公開する。

 宮原校長も「地域の方が被爆前の写真を持っているケースはあるが、通っていた全児童の作品が出てくるとは…。寄贈していただければ学校でも閲覧できるようにしたい」と話していた。

【写真説明】宮原校長(手前)の前で、69年前の記念帳を広げて語り合う、左から加藤さん、田中さん、土井さん(19日、広島市中区の袋町小)


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