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市女の原爆碑、山口に原型 同窓生、説明パネル寄贈へ '07/7/26

 広島市中区に立つ市立第一高等女学校(市女、現舟入高)の原爆慰霊碑に刻まれたレリーフは、山口市小郡文化資料館の所蔵品を原型に制作されたことが、同資料館の調査などで分かった。市女の同窓生有志は関連づけが判明したことを喜び、平和への願いが込められた慰霊碑の説明パネルを近く資料館に贈る。

 平和記念公園南の元安川右岸に立つ慰霊碑は、もんぺ姿の少女が原子力を意味する化学式「E=MC2」の文字を胸に抱き、左右に二人の少女が寄り添っている。

 資料館の所蔵品は、少女は一人少ない二人だが、同じ化学式が彫られるなどデザインは酷似している。制作も慰霊碑と同じ一九四八年。山口県出身の彫刻家河内山賢祐氏(一九〇〇―八〇年)の作品で、資料館が開館した九四年に収蔵。「婦人(2人)」の作品名で展示していた。

 河内山氏がのこした書簡などには両者の関連を示す資料はなかった。しかし、河内山氏の関係者からの指摘を受けた資料館が調べた結果、九四年に同窓会が再発行した市女追悼集「流燈(りゅうとう)」に明確な記述が見つかった。

 追悼集に収録された当時の市女校長、故宮川造六氏の手記などによると、学校側から原型の制作を依頼された河内山氏は京都に湯川秀樹博士を訪ね、原子力の意味を聞いてデザインを考えたという。

 在学中に被爆した同窓会の世話役、加藤八千代さん(78)=西区=は「碑は、戦争や核兵器の悲惨さを伝えようと建てられた。その苦労のあかしと言える原型が見つかりうれしい」と感激する。

 碑の説明パネルは、加藤さんや市女教員だった一場不二枝さん(85)=南区=らが作成し、資料館に贈る。一場さんは「戦争は罪のない少女の命を奪うことを、市女の歴史と碑が伝えてくれる」ようにと願う。

 資料館は加藤さんらの思いにも応える形で、収蔵作品名をこのほど「女子学徒」に改題した。(岡田浩平) ※市女と慰霊碑※

 現在の平和記念公園南の平和大通り一帯での建物疎開に動員された1、2年生541人をはじめ、生徒と教員計676人を原爆で失った。慰霊碑は1948年に校内に建て、57年に現在地に移設。85年には死没生徒、教員全員の名を記した銘碑2基も建立した。

【写真説明】<上>市女原爆慰霊碑に、原型が見つかったことを報告する一場さん(中)ら舟入・市女同窓会メンバー<下>市女原爆慰霊碑の原型と分かったレリーフ(山口市小郡文化資料館提供)


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