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復興の証し平和の種に 原爆投下から2年後に太平洋渡った48枚の書画 '07/8/6

 原爆投下から二年後、完全復興にはまだ遠い広島から平和のメッセージとして太平洋を渡り、米国に届けられた小学生の絵があった。本川小(広島市中区)の児童が描いた四十八枚の絵画や書。ワシントンの教会にひっそりと保存されていた作品との出合いがきっかけで、ドキュメンタリー映画制作に取り組む米国在住の舞台芸術家、重藤静美さん(55)が五日、本川小を訪れ、元児童たちにインタビューした。焼け野原が残る街にまかれた平和の種の足跡を探して…。

 「何もない時代に二十四色のクレヨンをもらって、うれしかった」。校庭の滑り台で友人と遊ぶ絵を描いた、当時二年生の佐々木(旧姓伊藤)善子さん(66)=南区=は、まるで昨日のことのように声を弾ませた。

 遠足やお祭り、小学校の対岸にある原爆ドーム…。色鮮やかな四十枚の絵と、「廣島市緑の山」「平和日本」などと記した八枚の墨書のコピーを壁に張った体育館で、重藤さんは作品を描いた元児童や家族ら五人の証言を収録した。

 児童の作品が海を渡ったきっかけは、被爆地の学校で文房具が足りないと知った米国人牧師が一九四六年、本川小に絵の具やクレヨンをプレゼントしたことだった。児童は喜びと感謝の気持ちを込めて絵を描き、翌年、かつての敵国に届けた。

 重藤さんは昨年、ワシントンの教会に保管されていた作品と偶然、出合った驚きを今も覚えている。どの作品も広島復興の勢いを象徴するように筆遣いが躍っていた。

 両親が広島県出身の重藤さんは、郷里の三次市で教師をしていた母親から戦時中、広島市から疎開していた児童二十五人が原爆投下の前日、広島に里帰りし、一人も帰ってこなかった話を何度も聞いてきた。

 「これらの作品は平和の希望の種。平和の大切さ、憎しみを超えた友情の足跡を映画に収め、世界中に花を咲かせたい」と重藤さん。この日の取材現場は同窓会のように盛り上がった。重藤さんは七日まで広島市に滞在し、年内の映画完成を目指して取材を続ける。(下久保聖司)

【写真説明】60年前の広島を描いた本川小の元児童たちにインタビューする重藤さん(左端)


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