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体験継承へ政治の力を 被爆62年を超えて '07/8/8

 あまたの原爆犠牲者の冥福を祈り、その御霊(みたま)に核兵器廃絶への新たな努力を誓う平和記念式典。広島被爆から六十二年を迎えた六日の平和記念公園での式典には、例年にも増して外国人の姿が目立った。核拡散や停滞する核軍縮、テロリストによる核使用の可能性など、人類が直面する核戦争の脅威の中で、好ましい現象である。

 内外から被爆地に集った多くの人たちは、厳かな式典への参列や原爆資料館の見学、あるいは被爆者の証言に耳を傾け、さまざまな反核・平和の集いに参加することで、それぞれの「ヒロシマ体験」を深めたことだろう。

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 広島の市民団体の招きで初めて広島にやってきたインド、パキスタンの若者九人も、こもごもに「貴重な体験」を口にした。その一人、パキスタン人の高校生シャーゼブ・アフザルさん(17)は「被爆者の証言を聴いたり、原爆資料館の見学などを通して、核戦争の本当の恐ろしさが理解できた」と言った。訪問前まで彼は、核兵器は国と国民を守るために必要だと固く信じていたという。

 「でも、今は違う。帰国後は、友達になったインドの仲間とインターネットで情報交換しながら、それぞれの国から核兵器をなくすために行動したい」と目を輝かせる。

 もっとも、パキスタンでは今も、核科学者は英雄扱い。核兵器で対峙(たいじ)する隣国インドが、米国と平和利用に関する原子力協定で最終合意したことなどへの不信から、さらなる核兵器やミサイル開発に政府や軍は力を入れる。帰国後の現実は、決して甘くない。

 私は昨年、9・11米中枢同時テロ後の米国社会の実像を探るため、約二カ月半にわたり、十五州四十六都市をめぐった。多くの戦死者を出し、混迷を深めるイラク戦争を反映して、市民の間に厭戦(えんせん)気分が広がっているのを肌で感じた。

 しかし、反戦運動にかかわる人々の間でさえ、米国の核政策にまで思いをはせる人たちは必ずしも多くはない。広島・長崎への原爆投下についても、戦争を早期に終結させ、多くの米兵と日本人の命を救ったと信じている人々が大半だ。核抑止力信仰となると、他の核保有国や潜在核保有国の市民の間にも根強く残る。

 こうした人々に核戦争の脅威を訴える最も効果的な手法は、原爆の惨状をありのままに伝える現物資料や映像、被爆者の証言である。被爆地を訪ね、ヒロシマに直接触れた人たちの反応を知れば説明の要はないだろう。だが、訪問できる人たちは一握りにすぎない。

 核保有国の政治指導者を含め、世界の人々に被爆の実相を伝えるには、日本側の努力が欠かせない。被爆者や市民による平和行脚、原爆展、平和市長会議…。被爆地では、これまでさまざまな取り組みを重ねてきた。

 ところが、「唯一の被爆国」を口にしながら、実相を伝えようとする日本政府の取り組みは、米政府への遠慮もあり、あまりにも微力であった。

 世界各地へ被爆者らが平和行脚に出かけると、核廃絶に向けての日本人への期待が想像以上に大きいことが分かる。その半面、「日本も米国の核の傘にあるではないか」「平和憲法を改正して、やがて核保有をするのではないか」など、日本の姿勢に疑問を呈する声を耳にすることも一再ではない。

 知日派の米国人有識者からは「米国の若者たちの圧倒的多数は、広島や長崎で何が起きたか、本当の悲惨を知らない。でも、そのことを教えられていない日本の若者の多くも、あまり変わらないのではないか」と指摘された。

 私は半ばうなずくしかなかった。小中高校の社会科や国語の教科書から原爆の記述が年々削除され、被爆教師たちも一線を退いた。今では若い教師たちの多くが、被爆の実相や核の脅威について正確な知識を持っていないのではないだろうか。

 それは教師に限らない。日本の政治家たちの何人が原爆資料館を見学し、被爆者の証言に耳を傾けたことがあるだろうか。原爆投下は「しょうがない」という前防衛相の発言にみられるように、国会議員たちの間にも、日米間の軍事依存が強まり、平和憲法改正の動きが増す中で、風化が加速しているように思えてならない。

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 核戦争の脅威から人類が解放されるためには、被爆国の日本政府や国民が強いイニシアチブを発揮することが求められている。そのためには、まず政治家が人類史におけるヒロシマ・ナガサキの歴史的意義を理解する必要があろう。

 やがて被爆者はいなくなる。そのときもなお次世代が被爆者の意思を受け継ぎ、世界の人々に語れるようになるには、公教育を通じて、十分に教えることが不可欠だ。ごく限られた被爆地の公立校や、一部の私立校だけの取り組みだけでは、被爆体験は決して「国民の体験」にまで昇華されない。それを実現するには、何よりも強い「政治の意思」が求められる。

 ヒロシマ・ナガサキが突きつけているのは、人類生存の問題である。戦争を否定し、人間の命の尊厳を守る問題でもある。被爆地の市民・県民を代表する議員や核危機に深い関心を寄せる超党派の国会議員らが主導して、被爆六十三年に向けて、ぜひ全国規模での新たな平和教育の取り組みに一歩を踏み出してもらいたい。(特別編集委員 田城明)


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