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世界のヒバクシャ

1. 頭上覆う「きのこ雲」目撃

第3章: 太平洋諸島・オセアニア
第4部: 英核実験の忘れ物

 1952年10月3日、オーストラリア北西部のモンテ・ベロ島で原爆が炸裂し、英国は米ソに次ぐ3番目の核保有国になった。以後1958年まで、オーストラリアの砂漠や太平洋の島で、核実験が続いた。その間、砂漠の先住民アボリジニーや実験に動員されたオーストラリア、ニュージーランド兵士が放射性降下物などによって被曝した。だが、彼らの存在は、長く顧みられることもなかった。

南へ移動中に遭遇

 赤茶けた土とユーカリの林が果てしなく続くオーストラリア南部の大ビクトリア砂漠。その真っただ中に、ブーメランで知られる狩猟の民アボリジニーの集落が点在する。私たちはアデレードからセスナ機に乗って約900キロ、集落の1つオークバレーを訪ねた。

 英国の核実験に追い立てられた彼らが、この地に戻って5年になる。実験場は1950年代、集落の南東100キロのマラリンガにつくられた。以来30年余り、住民は近隣のアボリジニーとともに、南へ200キロ離れたヤラタで暮らした。1984年暮れになって、彼らの土地がやっと返還されたため、生まれ故郷へ帰って来ることができた。人口わずか30人である。

 吹き流しが1つあるだけの滑走路に着陸すると、間もなく黒褐色の肌の男性が車で偵察に来た。「マラリンガの話を聞きたい」と頼むと、村へ案内してくれた。40~50代の男性2人と、50代くらいの女性2人が実験を目撃していた。

 「南へ移る途中、大きなきのこ雲が空へ上って、頭の上へ流れてきた」。ペパと名乗る男性が口火を切ると、他の3人も体験を口々に語った。「大地が揺れて、一緒に歩いていた犬がおびえた」「ウチの犬は『ドーン』というすごい音を聞いて、ほえ立てたよ」「あんな気味の悪い雲を見たのは初めてだ」

 彼らに「いつ? どのあたりで? きのこ雲が上がったのはどの方角?」と地図を広げて、あれこれ質問を試みたが無駄だった。彼らにはあの時の爆発音や大地の揺れが、人間が造り出した爆弾によってもたらされた、という認識がないのだ。

 ただ1つ分かったことは、爆発は彼らが南へ向かって徒歩で移動中に起こったということだった。それも白人がやってきて理由も告げず「南へ行け」と命令し、しぶしぶ移動を始めた時だった。

獲物が捕れぬ毎日

 実験を目撃した後、狩りをしながら、何日も何日も南下の旅を続けた。最高のごちそうであるカンガルーは1頭も捕れず、野ウサギやトカゲなどの獲物もさっぱりだった。

 「木の根に付いている虫で飢えをしのいだよね」。グリーニー、クライスと名乗る2人の女性が顔を見合わせて言った。

 ヤラタに着くと、南下したアボリジニーが次々と集結していた。きのこ雲に恐怖感を抱いた彼らは、そのことに触れないようにしていたという。急きょ収容施設がつくられ、いつ帰れるとも知れぬ収容所暮らしが始まった。

 「病人は出たの? 検診はあったの?」と尋ねてみても、放射能とも、医療とも無縁の暮らしをしてきた彼らは、首をひねるばかりだ。

 英国は、そんなオーストラリアの大地で、12回の原爆実験を繰り返した。