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世界遺産・原爆ドーム

上空から見た世界文化遺産・原爆ドームの姿
被爆前の広島県産業奨励館。チェコのヤン・レツルが設計した

核の時代の負の遺産

原爆ドームは「核の時代」と呼ばれた20世紀の最大の負の遺産です。

1915年に広島県物産陳列館として完成しました。

れんが造りの3階建て、チェコのヤン・レツルが設計した西洋建築で、ドーム部分は上から見ると楕円形であることが、よく分かります。

世界平和を願うモニュメント

被爆当時の名前が「広島県産業奨励館」。

1945年8月6日、爆心地から160メートルにあって内部にいた全員が即死しましたが、ドーム部分は上からの猛烈な爆風に耐えて残りました。

その骨組みや壁が廃虚に立つ姿を見て、戦後の市民が呼び始めた名前が「原爆ドーム」です。

1996年には国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録されています。

登録された名称は「広島平和記念碑(ヒロシマ・ピース・メモリアル)」です。

原爆被害を訴えるだけでなく、広く世界平和を願うモニュメントという位置づけです。

未来への保存のためにさまざまな補強がされている原爆ドームの内部

永久保存へ努力続く

戦後、原爆で壊れた建物は街の復興とともに多くが姿を消しました。なぜドームは残ったのでしょう。被爆から15年後、白血病で亡くなった高校生の楮山(かじやま)ヒロ子さんの日記がきっかけでした。「あの痛々しい産業奨励館だけがいつまでも、恐るべき原爆を後世にうったえてくれるだろう」。心を動かされた子どもたちが保存の署名を始め、ついに広島市議会が被爆21年後に保存を決議しました。

しかしドームは崩壊したまま保存するという極めて難しい課題に直面しています。風雨による劣化対策のほか、大地震に備えた補強工事も進められてきました。広島市は被爆100年の2045年までは、保存のための屋根などはかけずに残すことにしています。

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