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朝刊紙面 1946年~

中国新聞は、従業員の約3分の1に当たる114人を原爆で失った(後障害を含む)。社屋も全焼したが、「代行印刷」により3日後から新聞発行を再開。約3カ月後、本社での自力印刷にこぎ着けた。以降、毎年巡り来る「あの日」を紙面に刻んでいる。原爆犠牲者の命日であるとともに、核兵器のない平和な世界を願う人たちが国内外から結集する一日である。戦後占領期から、核兵器禁止条約が実現した現在に至るまで、紙面はその年の世相や国際情勢、社会問題を映し出している。「ヒロシマ・ナガサキ」「原爆の日」がどう受け止められてきたのか。1946年以降、現在までの8月6、7両日の朝刊1面を一覧すれば、その変遷を読み取ることができる。

※記事中には今では使われていない表現が含まれている場合がありますが、紙面の一次資料としての側面を踏まえ、発行時のまま公開しています。

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