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ヒロシマ用語集

呉海軍工廠

高い技術 大和も建造

 海軍の拠点(きょてん)の一つとして鎮守府(ちんじゅふ)と呼ばれる機関が1889年に置かれたのが、呉海軍工廠(こうしょう)の始まりです。呉工廠は、船を造る部門と兵器を造る部門が一緒(いっしょ)になって1903年に設立されました。

 日露戦争(04~05年)の後、日本初の大型の軍艦(ぐんかん)が呉工廠で製造されました。フランスから駆逐艦(くちくかん)の注文を受けたこともあります。高い技術力を誇(ほこ)っていました。

 日中戦争が始まった37年、呉工廠では戦艦(せんかん)「大和(やまと)」の製造が始まりました。口径が46センチもある大砲(たいほう)を備え、太平洋戦争が始まった直後の41年12月16日に完成しました。1人乗りで敵の艦船(かんせん)に突っ込む人間魚雷(にんげんぎょらい)「回天(かいてん)」も造られました。

 戦時中は、中学生、女学生も動員されました。45年6月22日の空襲(くうしゅう)は呉工廠が目標にされ、兵器を造っていた造兵地区は壊滅(かいめつ)しました。