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ジュニアライターがゆく

Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第52号) デジタルで伝える

 ことし被爆73年を迎(むか)えます。あの日を語り継ぐ取り組みは脈々と続いていますが、最近、新しいデジタル技術を取り入れて伝えようと励(はげ)む高校生たちが、広島県内にもいます。

 広島女学院高(広島市中区)の生徒は証言動画や体験記、当時の写真などを立体的な地図の上に載(の)せて紹介(しょうかい)するウェブサイト「ヒロシマ・アーカイブ」を作っています。被爆地を訪れなくても、世界中の人が学ぶことができます。

 福山工業高(福山市)の生徒は爆心地の街並みをバーチャルリアリティー(VR)で再現しています。被爆前後を疑似体験し原爆の怖(こわ)さを分かってもらう試みです。

 最新の方法ですが、被爆者の体験を聞いてから作り始めるというスタイルは変わりません。デジタル技術を通し、生身の人間が体験した苦しみと悲しさをどう伝えるかが大切です。

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲かせるため、中学、高校生の25人が自らテーマを考え、取材し、執筆しています。

紙面イメージはこちら

「あの日」 風化させない

広島女学院高

ウェブに証言動画マップ

 ヒロシマ・アーカイブは「核廃絶!ヒロシマ・中高生による署名キャンペーン」に加わる広島女学院高の署名実行委員会が中心になって作っています。首都大学東京の渡邉英徳准教授と2011年から始め、手記と合わせて170人以上の体験を収めました。

 パソコンやスマートフォンなどで公開し、見た人がメッセージを書いたり地名で検索(けんさく)できたりする機能を加えました。修学旅行生向けのワークブックも作り、事前学習や広島でのフィールドワーク、後の振(ふ)り返りもできるよう工夫しています。(高2岩田央)

切実な体験 掘り下げる

 証言動画のうち約50人は生徒がビデオ撮影(さつえい)しました。昨年12月、生後8カ月で被爆した西区の川島智恵子さん(73)を取材しました。

 1時間半におよぶインタビュー。「20歳まで生きられないと診断(しんだん)されたが友人に支えられた」「自分が被爆者だと知った義母に出て行けと言われた」と話す様子にカメラを向けます。生徒も「生きる希望を失いそうでもなぜ頑張れたのか」「身近な平和活動とは」と聞き、話を掘(ほ)り下げます。編集し掲載(けいさい)する予定です。

 今はモノクロ写真のカラー化にも取り組んでいます。被爆者から家族写真などを借り、画像をスキャン。カラー化は生徒もできますが、一部は渡邉准教授に送ってより鮮明(せんめい)にします。相手と確認し修整したら完成です。

 カラー化することで若者に「昔のこと」と思われがちな被爆体験を身近に感じてもらい、被爆者には当時をより思い出してもらえる長所があるそうです。(中3川岸言織、中2植田耕太)

広島女学院高アーカイブリーダー 杉野友菜さん(17)=2年

 被爆証言の編集では「間(ま)」を大切にします。言葉に詰(つ)まったり、涙(なみだ)を流したりする被爆者の姿を残すことで、見る方もつらさが分かります。声や表情も伝わるのは動画の長所。海外から届いたメッセージを読み平和への考えを広く知りたいです。(聞き手は高2岩田央)

福山工業高

VRで街の質感まで再現

 広島の爆心地を再現したVRは、福山工業高の計算技術研究部が2016年から作り始めました。原爆投下前後の1時間を5分に縮め、通りから見た約900メートルの光景を映しています。

 文献(ぶんけん)や写真を調べ、被爆者にも聞き、建物の場所や大きさを正確に割り出します。質感や汚(よご)れが生活感を生むので、建物の壁(かべ)のざらつき、自転車の赤さび、タイルや防火用水の光の反射にもこだわっています。

 これまでコンピューターグラフィックス(CG)で被爆前の広島を再現しましたが怖さを五感へ訴えるには不十分。「技術の限界」ともどかしかったそうです。安くなったVRの装置を購入(こうにゅう)し、試作版は米国でも公開。今の作品は2年後の完成を目指し、「あの日」と今を結ぶ懸(か)け橋にしたいと願っています。(高2沖野加奈)

奪われた日常を疑似体験

 専用ゴーグルとイヤホンを着け仮想空間へ。自分の目と耳で感じた5分は、一生忘れられません。

 スタートは広島県産業奨励館前。曲線の美しい白い門を見上げ、元安川沿いを北へ進みます。猿楽町の駄菓子店の前で足を止めました。チョコレートやあめが並んでいます。当時の子どももドキドキしながら棚(たな)をのぞき込んだでしょう。

 セミの声を聞きながら南側の細工町へ入ると島病院が左前方に見えます。「ブルブルル」。低い音に気付き青空を仰(あお)ぐと、米粒ほどの飛行機を見つけました。突然(とつぜん)、目の前が真っ白に。思わず「あ」と小さく叫(さけ)びました。ごう音も。原爆が落とされた瞬間(しゅんかん)でした。

 光の幕が消え、真っ暗闇(やみ)になると、徐々(じょじょ)に炎(ほのお)が浮かび、がれきの山が現れました。鉄骨だけになった建物から火が噴き出ていたのです。「バチバチ」。火のはぜる音、ごうっと吹く風の音に不安が増し、自然と体中に力が入ります。

 今すぐゴーグルを外してしまいたい。そう感じ、はっとしました。いつでも平和な世界に戻(もど)れると分かっていても、私はおびえています。あの場にいた人に逃(に)げ場はなかったはず。痛みと恐怖(きょうふ)はどれほどだったのか。この惨状(さんじょう)を風化させてはいけないと強く思いました。(高2沖野加奈)

福山工業高前計算技術研究部長 平田翼さん(18)=3年

 被爆者が泣きながら証言する姿を見て「人ごとでない」と感じたことが活動の原点になっています。当時に忠実(ちゅうじつ)に作ったVRを体験して、あぜんとしたり途中(とちゅう)でやめたりする人もいます。原爆の恐(おそ)ろしさを実感してもらうことが制作する意義になっています。(聞き手は高1溝上藍)

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被爆者聞き取りも必要 首都大学東京 渡邉英徳准教授(43)

 ITが発達し、以前は大人がコストをかけ駆使(くし)していた技術が、今では高校生がお金をあまりかけず、手軽に使えるようになりました。

 ヒロシマ・アーカイブはインターネットを使うことで広がりを生み、カラー化したモノクロ写真は多くの人の関心を呼び起こすきっかけになります。爆心地を再現したVRも、今の若者ならではの表し方です。時代が進むごとに新しい方法が出るでしょう。

 ただ最新技術を使うことと、当時の人に話を聞くことはセットです。被爆者とじかに会って話ができる世代は、今の10代が最後。しっかり記録し、見た人が被爆地を訪れるステップになってほしいと思います。(聞き手は中2植田耕太)

(2018年1月18日朝刊掲載)

【編集後記】
 今回のテーマは「デジタルで伝える」。私にとって、何度も提案してきたとても思い入れの強いものでした。福山工業高のVRで被爆直後の広島の街を歩いた時、「まさに地獄」「あてもなく家族を探した」といった今まで聞いた被爆者の方の話がひとつひとつ思い出され、涙が出ました。私たちは「あの日」を想像することしかできません。福山工業高のみなさんの苦労と工夫の詰まったVRのような、新しい技術の力も借りて、少しでも正確に鮮明にあの日を想像して、被爆の記憶を受け継いでいきたいと思いました。(沖野)

 私は福山工業高校のVRを取材しました。高校生の努力を尽くしたVRは、本当に1945年8月6日の原爆ドーム前にいる臨場感があり、原爆の恐ろしさを肌で感じることができました。被爆者の生の声を聞く機会が少なくなる中、VRという手段で原爆の記憶を風化させないことはとても良いことだと改めて思います。(溝上)

 僕は、首都大学東京の渡邉先生に話を聞きました。その中で、インターネットが普及し、個人が自分の興味の範囲外も知ろうとすることが、いま難しくなっていると聞きました。渡邉先生が進めるヒロシマ・アーカイブも、写真のカラー化も、関心の低い人に戦争を知ってもらうきっかけづくりです。正直、僕自身も最近、自分の興味のあることばかり、インターネットで見ていました。1つの物事に対しも、複数の目線から見みることは、重要です。そこで、他の異なった目線からも見られるようにするため、自分の知らない分野も学ぼうとするきっかけをつくり、見つける。この力がこれからも大切になっていくのではないでしょうか。(植田)

 今回、新聞だけでなく、インターネットなど私たちが普段使っているものからでも、被爆者の体験を学ぶことができるのだと知りました。被爆者の平均年齢は81歳を超え、体験を直接聞くとなると、その人の体調などに気を配ったりしないといけません。しかしインターネットですでに収録されている証言なら、いつでも聴くことができます。私も被爆者の人に取材して、多くの人が読んでくれるような記事をこれからも書いていきたいです。(川岸)

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