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連載・特集

戦後75年 しまね継承の夏 <下> 安来市加納美術館名誉館長 加納佳世子さん(75)=安来市広瀬町

平和語る道 父追い歩む

 安来市出身の画家、加納莞蕾(かんらい)(本名辰夫、1904~77年)の四女。戦後、フィリピンで戦犯として裁かれた日本人の恩赦を求めた父の思いを継ぐ。平和活動に没頭する姿を、物心がついた時から目の当たりにしていた。「これからも平和を築いていくため、次の世代に伝え続けるのが私に課されたやるべきこと」と言い切る。

 大阪府で小学校教諭として38年間教壇に立ち、地元に戻って2016年から安来市加納美術館の名誉館長を務める。5年前には、父の生涯をまとめた書籍を出版した。市教委と連携し、美術館に平和学習で訪れた小中学生に、身近にもある戦争の実態を伝える。県内を中心に年間約50回の講演もする。人として生きる権利を奪う戦争の悲惨さ、恒久平和の実現のために今できることを訴えるため、マイクを握る日々を過ごす。

 「戦争が遠ざかり平和が当たり前の世の中になった。でも、知らないと人間は繰り返す」。戦争体験者の高齢化が進み、継承の難しさを実感していた中、新型コロナウイルスの影響で伝える機会が激減。危機感は高まるばかりだ。

 戦後75年の特別展を美術館で開いている。「いま安来から世界へ 加納莞蕾の求め続けた恒久平和」とタイトルに思いを込めた。父は従軍画家として中国に赴いた。1939年にあった仲間の戦死や戦地の実態を克明に記録したメモや日記の現物を初めて公開した。なぜ戦後、平和を追い求めたのか、戦犯の恩赦に力を注いだのか―。その生涯に触れてもらいたいという。

 「ひとりひとりが平和に対する自分の考えを持ってほしい。その判断材料、ヒントとなるような、戦争の事実、莞蕾の考え方を体が動く限り伝えたい」。平和への思いが広がることを夢見ている。(高橋良輔)

フィリピン日本人戦犯の釈放
 1953年7月、フィリピンのエルピディオ・キリノ大統領が、戦犯として裁かれた日本人105人の恩赦を決めて釈放。処刑された17人の遺骨とともに帰国が実現した。加納莞蕾は、知人の元海軍少将が死刑判決を受けたのをきっかけに、49年から恩赦を求める運動を独自に始め、キリノ大統領に計43通の嘆願書を送った。莞蕾の行動は熱意が際立っていたとされ、恩赦の決断に少なからず影響を与えたとされている。

(2020年8月12日朝刊掲載)

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