×

社説・コラム

被爆75年のヒロシマ 紙上座談会

寂しい式典 将来不安/オンライン発信 新鮮

被爆者の焦り色濃い/広島市長の宣言 淡泊

 私たち論説委員室は、オピニオン面と朝刊一面コラム「天風録」を担当しています。どのニュースを取り上げ、論評の切り口はどうするか…。降って湧いたようなコロナ禍はなかなか見通しがきかず、日々の討議も滞りがちです。議論も「窓」を開け、換気をよくしたら―。そんな発想から、紙上座談会を開いてみました。今回は〈被爆75年のヒロシマ〉です。

 A 例年の8月6日に比べて、コロナ禍で外国人や子ども連れの姿がめっきり減った。平和首長会議などに加わっている自治体には、被爆地に小中高生を派遣し平和について考える機会をつくっている所も多い。今年のような夏が続けば、被爆地の訴えを国の内外に広げていく上で間違いなくマイナスだよ。

 B 被爆75年という節目でこれなら、この先はどうなってしまうんだろうね。

 C 先触れというか、将来の「原爆の日」を見ているようだった。節目にとらわれてはいけないのだろうが、被爆76年、被爆77年には追悼行事や式典がさらに寂しいものになっていやしないか。不安だ。

 D みんなも耳にしたことがあると思うけれど、「慰霊の日は静かに過ごしたい」という被爆者や遺族の声が以前からあった。だから、思い思いの場所で亡くなった人をひっそり悼む、ことしみたいな8月6日もありかな…。そう思いながらも、やっぱり寂しく感じた。

■コロナ下の継承

 D コロナで「不要不急」の外出は控えよ、と言われている。被爆地に向かい、被爆者からじかに体験を聞かせてもらうことや被爆の実情を受け止めることは不要不急だろうか。被爆者の世代が感染リスクの高い高齢者でもある点は悩ましいけど、身近な被爆者たちが次々と亡くなり、世界の核情勢はかつてなく緊迫の度を増していることを考えれば、やはり「必要火急」だと思う。

 G 広島、長崎の両原爆資料館が7月にライブ配信し、被爆資料を紹介したところ、世界の若者ら6千人以上が視聴したという。オンラインには、世界中に被爆地の今を発信できる可能性があり、それも若い世代が担い手の軸となって取り組んでいるのは頼もしいし、新鮮に映った。

 D 被爆証言などが軒並み、オンラインとなった。工夫して伝える試みで、今後も選択肢として残すべきだろう。ただ、やはり伝わりきらないものもある。8月6日朝の爆心地あたりの雰囲気、線香や供えられた花の香り、せみ時雨、川沿いで手を合わす姿…。現場に立たないと、肌で感じられない。

 A 同感だ。広島の地に足を踏み入れ、風や気温を感じつつ原爆ドームを見たり、被爆証言に聞き入ったりすることで得られるものは想像以上に大きい。広島としては、やはり来てもらい、感じ、考えてもらうという基本姿勢は守りたいものだね。

 D 被爆者の証言だって一緒。あふれる涙や震える声、つらい過去を冗談めかして明かす心情など、向き合っているからこそ伝わることはある。

■75年という節目

 F この夏は、「75年は草木も生えぬ」の一節に引っかけた言説が目に付いた。

 A 原爆投下の直後、米国の科学者がそんな発言をしたのは確かだけど、翌年にもう生えていたんだから。意味ありげに使うのはいかがなものかと、内心いまいましかった。

 F ジェイコブソンという原爆開発に関わった学者のことだね。1945年8月8日のワシントン・ポスト紙に「70年」と数字を持ち出し、「殺人性の放射能が残る」と談話を出したんだ。あまりの反響に、原爆開発の最高権威だったオッペンハイマーが「根拠なし」と全面否定した。翌9月に来日した調査団も放射線被害を重ねて否定したから、原爆の影響のうち放射線被害を過小評価する流れができてしまった。ヒロシマ史家の宇吹暁さんが米国側資料などで突き止め、「広島県史」にも詳しく書いている。

 G 「70年」説も確かに聞いたことがある。

 F 占領下の日本では、原爆自体を告発できなかった。ご存じの通り、プレスコードでね。70年にせよ75年にせよ、曖昧なまま独り歩きしたんだろう。

 A 次の節目は、2025年の被爆80年。証言のできる被爆者がどれくらい残っているかと考えれば、広島を訪れる人がことし大幅に減ったのは本当に残念。この春、ニューヨークの国連本部で開催予定だった核拡散防止条約(NPT)再検討会議が延期になり、現地に行くはずだった被爆者の無念はさぞかし大きかっただろうと思う。

 D いま語っている被爆者も多くは幼い頃の被爆で、実は記憶が定かでなかったり、親から聞いた体験だったりする人もいる。「風化」は目の前の現実だからこそ被爆者も焦りの色が濃い。

■空疎なあいさつ

 E ことしの平和記念式典は、そんな被爆者の思いや訴えをくみ取ったものだったかな。

 D 湯崎英彦広島県知事が、安倍晋三首相の面前で核抑止論を明確に否定してみせたのはよかった。嫌みと受け取ってもいいはずだけど、当の本人はあの通りで、響いたのかどうか。

 C 首相は広島と長崎の式典に顔を出したのに、あいさつでは「黒い雨」訴訟にも、被爆建物の「旧陸軍被服支廠(ししょう)」にも触れずじまいだった。

 E 直後に、しれっと「黒い雨」訴訟の控訴を決めたね。原爆慰霊碑の前では、「哀悼の誠をささげる」といつも繰り返す。いま生きている人間の「まどうてくれ」の声にはなぜ、誠実に向き合わないのだろう。痛感するだけで済ます、例の「責任」と同じだ。

 C 広島市長の平和宣言も、長崎市長のそれに比べると熱のなさ、淡泊さに正直がっかりした。小学生の「平和への誓い」は、しっかりしていたけどね。ただ、会場の周辺に子どもの姿が見えなかったのは残念だし、危機感を覚える。被爆者の高齢化で来年以降、開かれない慰霊祭も増えやしないか。

 G 式典の様子をスマホで確かめている人を見掛けた。一般市民を排除したのだから、せめて場内を映す閲覧モニターくらい配置した方がよかったのではないか。

 A 確かに。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の南側付近は例年、自由に動け、式典の様子を中継してくれるモニター画面もあって重宝していた。今回、そんなスペースまで立ち入り禁止になっていた。少し過剰な対応だったのでは。

■当事者意識こそ

 A 戦時中、空襲を受けた都市は全国で100を超える。それぞれの地域でも、戦禍の跡や史実を継承する試みはきっとあるはずだ。現地のメディアはもちろんのこと、教育関係者や行政は、もっと積極的に人や歴史を掘り起こし、住民に伝える努力を求められている。

 E 被爆から75年という歳月は、良くも悪くも分厚い。重荷としてマイナスにのしかかるか、人類の遺産としてプラスに生かすことができるか。ひとえに、今この地球に生きている私たちの言動にかかっている。

 G 長崎市の原爆資料館が入り口に、長文の「被爆から75年 長崎からのメッセージ」を掲げていてね。

 〈核兵器、環境問題、新型コロナウイルス…/世界規模の問題に立ち向かう時に必要なこと その根っこは、同じだと思います。/自分が当事者だと自覚すること。人を思いやること。結末を想像すること。そして行動に移すこと(略)〉

 まさに、その通りで、「被爆者のいない時代」という問題も同じだと思う。

(2020年8月13日朝刊掲載)

年別アーカイブ