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揺らぐ前回の妥当性 被爆者 全棟保存へ期待 被服支廠耐震費

 広島県が広島市南区に所有する最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」で、保存に向けて最大の課題だった耐震化費用を大幅に圧縮できる可能性が4日、浮上した。「大きな転換点となり得る」(県幹部)だけに、全棟保存を求めている被爆者たちは期待の声を上げる。重要な判断材料が揺らぐ形となり、県議会では「これまでの県の説明は何だったのか」との批判が噴出している。(樋口浩二)

 「費用は議論の大前提だっただけに、正直驚いた。本当に耐震化の費用が安くなれば、全棟保存の大きな追い風だ」。被服支廠の敷地内で被爆し、救護にも当たった呉市の中西巌さん(90)は、湯崎英彦知事による記者会見後の取材に語った。

 2014年に仲間と設けた市民団体「旧被服支廠の保全を願う懇談会」の代表として、「声なき被爆者」の保存を説く。8月6日の原爆の日には、視察に訪れた加藤勝信厚生労働相(岡山5区)にも直訴した。「無念の死を遂げた被爆者のためにも、実際の費用を早く確定させてほしい」

 1棟の耐震化には少なくとも28億円、内部を利用するには33億円が必要―。県は17年の耐震調査を基にした試算額を、繰り返し説明してきた。19年12月に示した「2棟解体、1棟の外観保存」の安全対策原案も、費用面が最大のネックとなり行き着いた面が強い。

 県は原案を公表した段階で、本年度に解体へ着手する勢いだった。ここへきて議論の土台を揺るがす事態に、湯崎知事の県政運営を支える県議会の会派からも不満が相次いでいる。

 記者会見に先立ち、県側が最大会派の自民議連に費用圧縮の可能性を示した非公開の会合では「前回の調査は妥当だったのか。県の説明は何も信用できなくなる」との意見が出たという。

 試算を疑問視する声は従来からあった。湯崎知事は「専門家にどう調査するか聞きながら試算した」とするが、被服支廠の見学会を開く市民グループ「アーキウォーク広島」(中区)の高田真代表(41)は「規模や構造などあらゆる面で希少な建物だからこそ、多様な意見を聞いて検討を尽くすべきだった」と指摘する。

 今後は有識者たちの検討会議が年内にも新たな安全対策と概算費用をまとめ、湯崎知事に提案する見通しだ。検討会議のメンバーに内定している工学院大(東京)の後藤治理事長(建築史)は、費用を圧縮できるとの見方を示しつつ「古い建物ほど、事前の簡易診断と詳細な診断の値が離れることがある」と指摘した。

費用減でも大きな負担 広島知事一問一答

 「旧陸軍被服支廠」を巡る湯崎英彦知事の記者会見での主なやりとりは次の通り。

  ―2017年度の耐震診断と、本日の説明が大きく異なります。当時の耐震診断は妥当でしたか。
 当時はれんが造りの建物の強度を考える上で、標準的な数値を用いた。正確に把握するためには継ぎ目を切り出さないといけないが、被服支廠ではできなかった。今回、危険な入り口の塀を撤去したことで試験のチャンスが出た。そこで非常に高い値が得られた。

  ―強度の重要な指標をチェックしていなかったのは不十分ではありませんか。
 私はそう思わない。専門家に聞きながらベストな調査をした。

  ―強度が高いなら、耐震化費用は安くなりますか。
 かなり耐震性があるのを前提にすると、工事費は大幅に減る。1棟当たり28億円が、大ざっぱに言って3分の1とか4分の1になるのではないか、という説明を専門家からもらった。

  ―検討の前提が大きく変わり、安全対策の原案「2棟解体、1棟の外観保存」の扱いが焦点となります。
 17年度の診断で倒壊する危険性があるという前提だったので、それに基づき、昨年12月に案を示した。今回、新しい知見を得られた。強度も、必要工事費も大きく異なる可能性が高い。詳しく調査し、その結果を踏まえて、県としての方向性を考えたい。

  ―全棟保存に向けた課題をクリアできましたか。
 そういう認識ではない。100億円近い費用が仮に3分の1になったとしても県財政には大きな負担。国、広島市と議論して考えなければならない課題だ。

<旧陸軍被服支廠を巡る主な動き>

1913年   旧陸軍の軍服や軍靴の製造を開始
  45年   原爆投下後、被爆者の臨時救護所となる
  46年ごろ 広島高等師範学校(現広島大)が校舎の一部として利用
  52年   広島県が現存する全4棟のうち3棟を国から取得
  56年ごろ 民間企業が1~3号棟を倉庫として利用。広島大が4号棟を学生寮
        として利用
  92年   県が現地で建物の強度を調査
  93年   広島市が被爆建物に登録
  95年ごろ 倉庫の利用が中止され、学生寮も閉鎖
  96年   県が「瀬戸内海文化博物館」(仮称)としての活用を見据え、耐震
        性を調査。耐震化費用を21億円と試算
  98年   県が「瀬戸内海文化博物館」構想を休止
2000年   県がロシア・エルミタージュ美術館の分館誘致の検討を開始
  06年   県が分館誘致を断念
17年8月   県が改めて耐震性調査を開始
18年12月  被爆証言を聞く建屋を新設する方針を公表
19年2月   県議会最大会派の指摘で方針を撤回。まず1~3号棟の保存の方向
        性を整理する方向に転換
   9月   地震に備えた安全対策に20年度に着手する方針を表明
  10月   耐震化や外観保存、解体などの6案を公表。概算費用は4億5千万
        円から84億円
  12月   1号棟を外観保存し、2、3号棟を解体する原案を公表
20年2月   県議会の要望などを受け、原案の20年度着手を先送りする方針を
        公表
   6月   自民党の「被爆者救済と核兵器廃絶推進議連」が3棟を約30億円
        で保存する案を取りまとめ、官邸に申し入れ
7月31日   自民党議連が「相当数の保存」を県と県議会に申し入れ
8月5日    公明党の山口那津男代表が初の現地視察
  6日    安倍晋三首相が「県の議論を踏まえて国としてしっかり対応する」
        と言明▽加藤勝信厚生労働相が初の現地視察
9月4日    県が安価な保存方法を探る再調査に乗り出すと表明

(2020年9月5日朝刊掲載)

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