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[考 fromヒロシマ] 平和祈念館 「75年」後探る コンサート・学習帳…背景に危機感

 平和記念公園(広島市中区)にある国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が、知名度の向上と来館者増を目指し、新たな取り組みを次々と打ち出している。コンサートの開催や、イラストをあしらったワークブックの作成―。原爆死没者の遺影登録、体験手記の収集などを通じて、犠牲者の追悼と被爆体験の次世代継承を担う同館。苦心の裏に、被爆75年のその先を見据えた危機感があるという。(山本祐司、新山京子)

 2002年の開館以来初めての試みだ。8月22日、研修室を会場にコンサートを開催。シベリア抑留や、原爆で弟を失った体験から反戦と反核を訴え続けた画家、四国五郎さん(1924~2014年)の詩に曲を付けた歌が披露された。

 開催中の企画展「時を超えた兄弟の対話」に合わせて開いた。冒頭で大瀬戸正司副館長が「一つの空間で、音楽を通して平和への思いを強くしてほしい」とあいさつ。四国さんの詩に感銘を受けたバリトン歌手の今田陽次さん(42)が、山下雅靖さん(52)のピアノに乗せ4曲を独唱した。

 新型コロナウイルスの感染防止で定員を50人に限定したこともあり、満席に。初めて同館を訪れたという中区の保育士高野仁美さん(66)は「四国さんのあふれる悲しみが伝わってきた」。歌に聞き入り、涙を流す人もいた。

 同館の来館者数は増加傾向にあるものの、同じく平和記念公園にある原爆資料館と比べるとまだ少ない。19年度はいずれも新型コロナの影響を受け、開館は実質11カ月間。資料館の175万8千人に対して、祈念館は37万9千人だった。

 本年度、てこ入れを本格化している。今夏は小学生用にポケットサイズの「学習ワークブック」を作った。職員が手描きした猫のキャラクターの問いに答えながら、被爆証言ビデオや遺影コーナーへいざなう構成だ。祈念館ホームページ(HP)からダウンロードできる。そのHPも、開館以来初めて全面リニューアル。絵や写真を多用した。

 市民や観光客の入館増への努力―。最重要事業である「原爆死没者の銘記」を進めるためでもある。

 祈念館は、遺族からの申請を受け、原爆死没者の遺影を収集している。新たな登録は、伸び悩む。19年度末時点で計2万3789人分。原爆慰霊碑の石室に納めてある原爆死没者名簿に今年8月6日時点で32万4129人分が記されていることを考えても、死没者の一部にとどまると言える。

 担当の橋本公学芸員は「登録制度自体を知らない遺族もまだ多い。知名度を上げ、市民の関心を高めることが喫緊の課題。今やらなければ、年々難しくなっていくだろう」と話す。

 そこで祈念館は、著名ながら未登録の原爆死没者の遺族や旧友へ働き掛けを始めた。原爆詩人の原民喜や作家の大田洋子、原爆ドーム保存運動のきっかけをつくった楮山(かじやま)ヒロ子さん、「原爆の子の像」の建立運動で知られる河本一郎さん―。本年度、遺影を相次ぎ受け付けた。

 広島県内の各自治体にも協力を求めた。被爆者が亡くなったため被爆者健康手帳の返納手続きをする遺族に対し、登録制度のことを知らせてもらうようにしている。

 被爆手記の収集と公開も事業の柱だ。所蔵は約14万7千編。「これだけの蓄積がある。読み進めてもらいたい」と橋本さんは話す。原爆に遭った人たちの生きた証しであり、核兵器の非人道性を伝える遺影や体験記。私たちがもっと関心を寄せ、目にしようとすること自体が、亡くなった一人一人を忘れず、追悼する営みになるはずだ。

国の追悼施設 援護法が基 遺影や体験記収集

 国は1994年に成立した被爆者援護法に基づき、二つの被爆地に追悼施設を建設した。その一つが2002年、平和記念公園内に開館した国立広島原爆死没者追悼平和祈念館だった。広島市の外郭団体の広島平和文化センターが、国からの委託で運営している。長崎は翌年開館した。

 戦後、被爆者団体などは原爆被害者に対する「国家補償」を求めてきた。しかし、死没者への弔慰金や遺族年金の支給は実現されなかった。代わりに援護法は前文と41条に「国は、原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記する」と規定した。

 祈念館は死没者の名前と遺影を登録し、被爆体験記の収集を進めている。遺族の了解が得られた分は公開している。被爆体験のビデオ収録にも力を入れているという。一方で、登録された遺影の情報は、いまだ明らかになっていない原爆被害者の実数をつかむため広島市が79年度から続けている「原爆被爆者動態調査」には反映されておらず、両者の連携を求める声もある。

言葉と心で記憶継承 久保館長

 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の役割を、今春就任した久保雅之館長(62)に聞いた。  被爆した実物資料を展示し、核兵器の悲惨さを見学者に理解してもらう原爆資料館に対し、祈念館は「言葉と心で平和を伝える」ことが使命。その中で被爆体験記や原爆死没者の遺影を集めている。被爆75年の今、被爆者の生の声を記録できる最後の時期にさしかかりつつある、と危機感を持っている。

 遺影を通して、原爆がその人の人生をいかに変えたかを感じ取ることができる。体験記や詩は、朗読ボランティアの活動によって多くの人たちに聞いてもらっている。一人でも多く来館してもらうことが、平和を願う思いを次世代につなぐことになる。

 ただ、修学旅行でも、原爆資料館見学で時間切れになる学校が多いのが悩ましい。入館者の4割を占める外国人観光客も、新型コロナウイルスの影響で激減。厳しい状況だが、「追悼空間」という根本を堅持しながら模索を続けたい。

(2020年9月7日朝刊掲載)

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