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岩佐幹三氏死去 91歳 被団協元代表委員

 広島で被爆し、被爆証言の収集や保存に取り組んだ日本被団協の元代表委員の岩佐幹三(いわさ・みきそう)氏が7日午前3時19分、膵臓(すいぞう)がんのため、千葉県船橋市の自宅で死去した。91歳。福岡県出身。葬儀は近親者のみで行う。喪主は長男憲明(のりあき)氏。

 修道中に在学していた16歳の時、爆心地から1・2キロの広島市富士見町(現中区)の自宅の庭で被爆。一緒にいた母親と、建物疎開に動員された県立広島第一高等女学校(現皆実高)1年の妹を失った。

 1953年に金沢大の教官となり、60年に石川県の被爆者団体「県原爆被災者友の会」を設立。初代会長を94年まで務めた。同年に同大教授を退官し、名誉教授。2000年に被団協の事務局次長となり、11年から代表委員に就いた。17年6月から顧問。

 皮膚がんなどを患いながら「自分は被爆者という運命を背負わされた人間。そういう運命と闘ってきた」と語り、核兵器廃絶を世界に訴え続けた。被団協の専門委員として94年の被爆者援護法制定に尽力し、その後に原爆症認定制度の見直しを政府に求めた。

 11年には作家の大江健三郎さんたちと発起人になり「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」を結成し代表理事に就いた。被爆者の証言や運動の記録を収集し、インターネットなどで発信する活動に力を入れた。16年、オバマ米大統領(当時)の広島訪問にも立ち会った。(河野揚)

核廃絶活動をリード 広島の被爆者ら惜しむ

 日本被団協の元代表委員岩佐幹三さんの訃報を受け、核兵器廃絶を目指して、ともに活動してきた広島の被爆者たちから別れを惜しむ声が相次いだ。

 「日本被団協の活動をリードしてきた方。これまでのご尽力に心から感謝し、敬意を表する」。日本被団協代表委員を務める広島県被団協の坪井直理事長(95)はコメントを発表。例年、県被団協の慰霊式に参列していた岩佐さんを悼んだ。

 岩佐さんは2016年、坪井さんたち日本被団協の代表者3人の1人としてオバマ前米大統領の広島訪問に立ち会った。「ヒバクシャ国際署名」の呼び掛け人を務め、各国に核兵器禁止条約の批准を迫る運動をけん引。もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長(75)は「生きている間に廃絶を見届けたかったはずなのに…。私たち若い世代の被爆者が一層頑張らないと」

 岩佐さんは、猛火が迫る中、自宅の下敷きになった母を残して逃げ、妹も亡くした。日本被団協の田中熙巳(てるみ)代表委員(88)=埼玉県新座市=は「母を見殺しにしたと自分を責める気持ちと、原爆への憎しみが活動の原動力だった。『頑張りましたね』と声をかけたい」としのんだ。

 1953年から金沢大法学部の教壇に立ち、石川県の被爆者団体設立にも尽力した。45年間、共に活動してきた石川県原爆被災者友の会の西本多美子会長(79)=金沢市=たちは8月、岩佐さんの体験をまとめた紙芝居を作った。西本会長は「岩佐さんの体験や平和に対する思いを受け継ぎ、次代に広く伝えていきたい」と話した。(水川恭輔、新山京子)

(2020年9月9日朝刊掲載)

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